深澤直人著 『ふつう』「はじめに」の前により

「はじめに」の前に

ふつうの時に「ふつうがいい」と思うふつうと、ふつうじゃない時に「ふつうがいい」と思うふつうは同じなのだろうかという疑問にぶつかりました。新型コロナウイルスの感染拡大の渦中にあっての疑問です。こんな時にのんきに「ふつう」などという本を出していいのだろうかと最後のところでペンが止まりました。ふつうが何かよくわからなくなっていました。

国からは緊急事態宣言が出され、外出自粛要請が出ていました。しかしわたしの家の近くの大きな公園では、散歩を楽しむ夫婦や、子供と戯れながら歩く家族連れの姿、もくもくと走るジョガーの姿が多く見られました。その人たちの心中が複雑なことはわかりましたが、春のうららかな日差しの下の人々の姿は幸せそのものに見えました。これこそ絵に描いたようなふつうの幸せの光景だと思いました。皮肉なものですが異常な時でないとふつうの良さはよくわからないということなのです。いや、ふつうと感じるセンサーが働かないのかもしれません。ふつうは感じないのがふつうなのです。禅問答のようですが、異常の隣にふつうは寄り添っているように思います。この公園で幸せをかみしめている人たちは、実はこの状態をふつうではないと思っているかもしれません。仕事に忙殺されていた日々を振り返り、そこに戻ることがふつうに戻ることなのではないかと感じている人も多いかと思います。わたしもその人です。働けることが幸せでふつうと思うのは当然ですが、同時にこのうららかな日差しの下の散歩もふつうと感じられるこころを持ちたいと思うのです。


*写真は書籍より

わたしが『d long life design』と『d design travel』に連載してきた「ふつう」というコラムは、「けっこうふつうっていいんじゃない」という概念をベースに書いてきました。わたしはデザイナーですから、スペシャル(特別)を求められます。ですが、ふつうの日々でふつうを語ることはスペシャルを語ることでもあるのです。また、あらためて「ふつうっていいなあ」と感じてほしいという願いもあります。意外とふつうの良さに気づいてなかったと思ってほしかったのです。

今は皆、ふつうの良さを感じるセンサーが働いています。ふつうがわかりやすい時でもあります。当たり前の日々の中にふつうは隠れています。この本が淡々と生きることに役立つことを心から願っています。

2020年4月9日 緊急事態宣言発出の2日後

深澤直人
(書籍『ふつう』 「はじめに」の前に より)

*ポートレート撮影:山中慎太郎(Qsyum!)


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