1 感動するってお金がかかる

NHK「日曜美術館」に出演してきました。以前、3年くらい前にも一度、その時は「熊谷守一」の時でした。今回は大名茶人で有名な「松平不昧」。そして、前回同様、冷静に考えて一度はお断りをしたりしました。なんといっても「知らない」のです。その人のこと。汗 そのジャンルのことが詳しいから、メディアに登場するというのはわかりますが、僕は本当に歴史も情報の深堀も興味がないので、いわゆるオタクには絶対になれないし、なりたくもないし、よく、会話の中で「この前、・・・さんに会ったんだ、・・・さん、知ってる?」と、知っているかどうかで話す人がいますが、本当に苦手。ほとんど知りませんから会話が盛り上がらないし、つまらない。そういうおじさん、いますよね。(僕も気をつけよう・・・・・汗)
そうNHKの人に伝えてもらうと「知らないから、感じることを話して欲しい」ときた。うーん。手強い。そこで「どうして僕なのか」と質問を返す。これは前の熊谷守一の時も一緒。すると、よくこちらのことを調べていて、「・・・こういうところが、ナガオカさんと似ている」と、いくつか不昧公(不昧さんは、みんなから愛され、”ふまいこう”と愛称されていた)と僕の共通点を上げてきました。なんと恐れ多い・・・・汗。不昧公は、今でいう「重要文化財」や「国宝」などのランクに影響を与えたとされる、もののランクづけ「雲州蔵帳(うんしゅうくらちょう)」や、徹底的に収集し、持っていないけど、いつか手に入れてやると思ったものも含めた良いものカタログ「古今名物類聚(るいじゅう)」なるものを作ったりして、茶道具などの質、価値をわかりやすく定めていった人で、考えてみれば、世の中の「良い、悪い」の基準って、安全とか、価格とかはわかりますが、アートに近いものは、誰かが定めないと決められないわけで、世の中を見据えて、たくさんのものを見た上で、「これはいいものです」と言ってくれることで、みんなが「なぜ、いいのか」とか「あれみたいなものが欲しい」「ああいうものを作らないといけないんだな」とかになっていく。それが積み重なって、国や地域の文化意識のようになっていくわけです。と、そんな人に似ていると言われたら、本当に困惑しますが、そういう話を聞いて、「本当にそうだなぁ」「すごい人もいるもんだな」と感じたので、出演してそれなら言えると思って引き受けました。

話は少し変わりますが、ある人が「感動するには、お金がかかる」といっていたことを思い出しました。「感動する」ことは、実は簡単なことではないというお話です。みんなの感動のポイントは一緒ではありませんよね。モナリザを見て涙を流す人もいれば、全く感動もしない人もいます。ただ、「感動する」とは、その方曰く、日々、いろんな素晴らしいものを見たりして感受性を豊かにしたりしないと、人のやや平べったい「へー」みたいな感動を超えた、涙を流すくらいのところまではなかなか行けないということでした。時間とそして、お金がかかる。そう言っていました。

日曜美術館では僕が何をやっていて、だからスタジオに呼んだみたいなことは、一切、出ません。「デザイン活動家」という怪しげな情報すら「全国の人にわかりづらいので、デザイナーとかにしてもいいですか?」と言われたくらい。なので、D&DEPARTMENTのことなど、全く触れないまま、「さて、ナガオカさんはどう感じましたか?」とふられるわけで、これは普段から色んな「感動」のアンテナを用意していないと、コメントできない。普段からずっと思っていないと、パッとでてこないわけです。「すごいですね」とか「へー」とかでは済まされない。笑

たくさんの良い実物を見る。すると、感動の「感覚」が一つ、手に入る。また見る。また一つ、手に入る。それを繰り返していくと、人と同じものを見ているのに、途方もなく感動したりします。それって、豊かなことですよね。