10 1を手渡そう。

何かを作った時、最初にやること。それは「知ってもらう」ことです。僕もよくやってしまいますが、作って完成して満足してしまったり、知ってるだろう・・・という勝手な思い込みで売れるのを待ったりしてしまう。人に知られないと何も始まらない。
店を使ったイベントも、知られないと誰もこない。企画してSNSでつぶやいたくらいで「告知した」と思い込んでしまう人は多いと思う。それも見られなければ、知らないと一緒。やらないよりはマシだけれど、こちらの発信を受け取らなければ、ゼロなのである。
最近、思う。お客さんが常連さんになるのにはしっかりとした手順が必要だと。いきなり知らないお客さんに「これ、おすすめです」と迫っても、買ってくれる人は少ないと思う。そう、「人がものを買う」までには、知らないところでその人が踏んできたステップがある。店頭で勧めたら、意外とあっさり買ってくれた・・・・と、思ってはいけない。そういうことも稀にあるけれど、知らず知らずのところで、スタッフみんなと一緒に、そのお客さんはステップを踏んでいるんだと思った方がいい。

自分がものを買う時のことをたまに思い出す。やはり、ステップを踏んでいる。その最初の最初は「その存在を知る」ところから始まる。これは当然ですが、絶対です。何かの情報でその商品を見る。実際に店に行ってみる。もしかしたら買うかもしれないと思っていく。店頭で見つけて手にとってみる。やっぱりもう少し考えようと、店を出る。普段の生活の雑踏の中で、他の情報にも触れたり、旅行してそのことから遠のいたりする。そして、大抵はどこか別のところに意識が行って店には戻ってこない。
店頭で手にとっている時に、店員から何か声をかけられる。ありきたりの接客なら、拒否するように離れる。でも、そこで何かゆるい何かを心に刻まれる時がある。それは嘘のない笑顔なのか、渡されたDMなのか・・・・。
買わずに家に帰って、たくさんの日常の中でその刻まれた何かが残っていて、もう一度、週末に友人と行ってみようか、とか、思う。天気は晴。清々しい日。計画とは言えないほどの思いつきで、友人を誘い、その店に行く。前に声をかけてくれた店のスタッフを見つける。そして、そのお客さんから声をかける。
さて、考えてみたら、この一段の階段を登るのは、奇跡的である。しかし、「お客さん自ら階段を登ってきた」ことには変わりない。だからこそ思いたい。そのお客さんは、来てくれたんだと。もしかしたらそういうお客さんに気づかない時もあるかもしれない。店の中にいるけれど、何もきっかけを店員からもらえなくて、もう一度来る気持ちをもらえずに店から出たというお客さんもいるかもしれない。お客さんは「次に来るきっかけ」を出口に向かう途中で手渡してもらいたいと、実は思っている。

そのお客さんは、スタッフと楽しく会話するようになったとします。いろんな友人を連れて来てくれたり。そこで次の階段を登ってもらいたいと思う。さて、それは何かを考えたい。店は半分は店側のものだけれど、半分はお客さんのものだと思う。そういうところまで寄り合うと、途端に店は面白い場所に変わっていく。最初の出会いは店のスタッフが100で、お客さんはゼロだと思う。それが何かのことで1を持ち帰ってくれて、こちら店側も99を意識する。「あっ、1を持って行ってくれた」と思いたい。そう思うことから全てが始まると思う。
そのお客さんは何度かくるうちに20くらいを持っているようになった。50になるにはまだステップが必要である。思うに、30は「参加する」で、40は「好きになる」で、50は「買い物したい店」だと思う。ここで50にならないと「買い物しないのか」と思うかもしれない。でも、思い出してみてほしい。「ものを買う」ということは、そう簡単なことではない。そして、思う。60になったら「ファン」だと思う。頼まれなくても、呼ばれなくても、まるである時は私たち店員のように振る舞う。僕もそんな店を2つくらい持っている。そこに行くと、みんながいる。そんな場所になれたらいいですね。

考えてみると、店員が持っている可能性は途方もなくある。そのお客さんの人生を変えるほどにある。1を持ち帰ってもらおう。そこから始めよう。そこからしか、すべては始まらないのだから。