124:おいしく感じ、そしておいしい

久しぶりに鹿児島のしょうぶ学園に行けました。急にも関わらず福森伸園長は時間をとってくれて食事した後も園内を案内してくれました。しょうぶ学園といえば、全国的にも知られる創造と知的障害をもつ方々の施設。昔にあるやや暗くて重い感じはなく(そういう風に見せていると、福森さん)、手打ちパスタの美味しい店、パン屋さんなど一般の方々も普通に利用できます。建築は福森さんがこうしたい、ああしたい、を叶えたもの。その様子に一つ、学んだことがありました。
仕事はどんな仕事でも楽しいことと、大変なこと。そして、辛いことや嫌なこと(できたらやりたくないこと)があると思います。夢のような楽しそうな仕事にも、普通には見えないB面がある。まず、しょうぶにいて福森さんをみていて、それを思い出しました。楽しいことを強調して、常に楽しそうにしていることは、できないことでもないですが、無理があります。辛いことをぶつぶつ言っていても、それも「仕事」。お給料をもらっているのだから、それは我慢。いかに「楽しい」「大変」を自分の中で混ぜ合わせ、全体的に幸せな仕事として受け取るか。その総仕上げ役は、どんな組織でもそうですが、トップの仕事だと思いました。働くみんなが「何があってもある一定の仕事への理解力」があることで、トータルに自分の中でそれらを「やりがい」と言える状態にできる。これは会社がしてくれることではなくて、働いている一人一人が「気づく」ことでしかありえません。福森さんのような代表者の立ち振る舞いが、全体の温度を作り、そこに起ころ全ての仕事(楽しいと大変)を幸せな仕事にしていく。それはランチをご馳走になっている時にも思いました。「美味しい!!」しかし、そう自分が感じる前に、「多分、ここで食べるものは、全て美味しそう」と、思えている。そういう気持ちになっている。心が何かを疑わず、一つ一つの接客に愛を持って受け止めていくと、口の中でこれから食べるものを迎え入れる気持ちに、それが生まれる。最上級の「美味しさ」とは、料理の味ではなく「その場にある全てのものがそう思わせられるか」ということだと、しょうぶ学園のランチに思いました。