114:デザインを超えるもの

すでにコロナの、戦争の、震災の前から、形のことをずっと言ってきた「デザイン」は、「ファッション」と同じように、姿形をなくしてきていますね。そして、多分、若い人は特に気づいていますね。新しい「デザイン」のことを。僕は正直、その気配にはなんとなく気づいていますが、若い人たちのようにそれを具体的には表現できません。表現したい!とも思えず、やはり、若いって素晴らしい、すごいなぁと思うんです。若い人はそれには気づかない。面白いです。昔は紙や書体や印刷や製版や、大きさや媒体や・・・・いろんな形式でデザインは成立していましたが、もう、そういうことではなくなっていて、というか、それが一番ではなくなっていて、形の無い(形にしにくい)ものをなんとか存在をわからせるものが「デザイン」となっている。できたら「形も何も」使わずに、その伝えたい「形の無いもの」を感じさせられたら、それでいいし、そういうものが「デザイン」になっていく。

なんだったら、その「形の無い伝えたいこと」の方が、どんどん「感じ」られて、「感じるから」「わかる」若い人たちは、それを感覚で表現して、つまり、コミュニケーションしていく。よく似たものに「お金」があるけれど、「お金では買えないもの」の方が、お金の価値を超えてしまった。それを大人は「お金」で体験し、若者は何も払わずに体験している。面白い。形の無いものと、形の無いものと、もうひとつ、形の無いものを足して、形の無いものの中に入れ込んで出来上がった形の無いものに、うっすら付いている香り。それがこれからの「デザイン」。

僕が「ブランディング」という名前をちらつかせるデザイナーが好きになれないのは、多分、ここだな。デザイナーが自分のことはもちろん、その仕事の背景を語るって、相当、若い感覚のみんなからすれば時代遅れというか、格好悪い。「デザイン」は、そのレシピをひけらかすようなものではなくて、出来上がってしまうように見せ、なお、それを語らないもののように、57歳の僕には感じられますが、どうでしょう。(と、こういうことを書くのも、相当ダサいね)