d SCHOOL「わかりやすい銭湯と街」

2022年8月12日にD&DEPARTMENT東京店で、「わかりすい銭湯と街」を開催しました。d design travel TOKYOでも掲載した大正3年創業の稲荷湯。今回は稲荷湯の修復再生プロジェクトに取り組んだ、一般社団法人「せんとうとまち」の栗生はるかさんと江口晋太郎さんをお招きし、街と人をつなぐ銭湯について考える勉強会を開催しました。

文化・伝統・生活・人・街を繋ぐ銭湯

富士山のペンキ絵図、九谷焼のタイル、寺社のような宮造りの破風屋根、脱衣所の格天井。銭湯は職人の手仕事によって作られた贅沢な空間です。戦後、街のいたるところにあった銭湯。家にお風呂がないのは当たり前の時代、おのずと銭湯はインフラであり、社交場でした。街全体で資源をシェアし助け合う文化があったのです。それを象徴するのが、ペンキ絵看板。ペンキ絵の下に、街の商店の宣伝をします。これは、街の商店が少しずつ出資し、ペンキ絵の塗り替えのサポートをするものです。

近年では銭湯のガス化が進んでいますが、例えば、稲荷湯のある板橋区滝野川の地域では、印刷工場が地場産業のエリアのため、印刷パレットが燃料になっています。また、昨今の水資源問題もありますが、街の人々と水をシェアする銭湯は、何よりもエコな仕組みとも言えるかもしれません。また、多くの行政が銭湯と提携しており、災害のときには水が使えるように整備されているのです。さまざまな視点から、銭湯と街は、密接に関わり合っていることを感じました。 そして、そんな街との関係や文化的な光景は、店主や店主の家族によって維持されてきました。深夜の銭湯、たとえその日のお客さんが、5人だろうとも、隅々まで磨かれてきたのです。

銭湯は、多様な人のセーフティーネット

銭湯は、紋切り型社会の中の多様な人の居場所がない中で、いろんな人を受け入れる場所であり、生活のセーフティーネットの役割も果たしていると、栗生さんは言います。 往復何十分もかけて、歩いてくる地域のおばあちゃん。家の近くに銭湯があるからこそ、風呂なし物件で暮らしていける移住労働者。日本に来て初めて日本人と話すことができた場となったギリシャ人留学生。長年番頭をやっている方は、字が読めない方ですが、地域の方に大切に愛されているそうです。街の子供から高齢者まで、多様な世代が集い、湯船に浸かり、顔を合わせる場が銭湯です。 古くからある銭湯は、周りの建物や住宅や商店の景色が変わろうともそこにあり、今日も地域の人々のつながりの記憶装置として存在し続けているのです。

銭湯の廃業は、街1つなくなるくらいのインパクトがある。

戦後2700軒あった銭湯は、現在500軒近くまで減りました。今日にも、銭湯を廃業する方が全国のあちこちにいるのが現状だそうです。職人文化も同様に、ペンキ絵を描く職人もわずか2,3人に減りました。貴重な文化でありながら、銭湯の減少とともに消えてゆく職人技。 さらに、銭湯の廃業は、地域コミュニティの解体をさします。周辺への影響は凄まじく、銭湯を生活の一部として使っていた住人が、その地域に住めなくなり、そして空き家になる。銭湯に通っていたお客さんが立ち寄っていた豆腐屋さんや床屋などの商店が維持できなくなり、消えていく。旅館と銭湯の繋がりが消える。地域の中で存在感のある建物が一夜にしてなくなる。銭湯の廃業を間近で見てきた栗生さんは、「銭湯の廃業は、街1つなくなるくらいのインパクトがある。」と言います。

「次はいつ、どこで会えるかね…」

古くから、街の人々は日々銭湯で顔を合わせ、コミュニケーションをとってきました。その場がなくなることで、人とつながる場が激減することを物語っている一言です。街と人の繋がりを築いてきた銭湯の減少。それが意味する「分断」の警鐘を感じました。

記憶のよすがになるものを。

消えゆく銭湯を前にし、せんとうとまちの栗生さんらが行ったことは多岐に渡ります。銭湯がなくなると、街全体が変わってしまうため、ドローンを飛ばして街の記録と調査を行い、巡回展を開催。銭湯1つ1つの紹介パンフレットの作成、ペンキ絵職人によるライブペイント、移住者に対して「あなたの街の銭湯」のご招待券の配布。それでも「廃業目前の銭湯自体を立て直すのは本当に難しい」と言います。悔しくも廃業になってしまった全国各地の銭湯からは、物品の引き取りを行なっています。銭湯を形とっていた木材も、燃料になるわけでもなく、ただただ燃えてなくなってしまうため、なんとか街の人々の記憶のよすがになるものを残したい。そんな思いで取り組まれています。

稲荷湯再生プロジェクト

「せんとうとまち」の取り組みの中でも一際目立つのが、稲荷湯の再生プロジェクトです。稲荷湯は、「せんとうとまち」の活動を通して、2019年に登録有形文化財に登録され、さらには世界各国の歴史的建造物や文化遺産の保全を行う、ワールドモニュメント財団の2020年ウォッチリストにも選定されました。この助成金をもとに現在取り組まれているのが、銭湯の隣にある二軒長屋を、地域の人が集えるサロンにするプロジェクト。? 銭湯に詰まっているものの整理や運び出し、100年分のほこり落としをしながらの改築作業。セルフビルドで行いながらも、かつての職人技術や職人技術を継承することを試みたそうです。例えば長屋の土壁を再生するのには、良質な泥を求めてわざわざ長野まで調達、長屋の建具の再生にはすでに店終いをしてしまった建具職人に依頼。このプロジェクトを通して、古くからのものを継承しつつ、街の再生に取り組まれてきたことを学びました。

これからの銭湯と街

銭湯の継承や改築には、店主や店主の家族のプライベートなところまで話が入り組んでおり、信頼関係を丁寧に築いていくことが必要になります。「街の銭湯をなんとかしたい」 「銭湯を継ぎたい」そんな思いがあっても、一筋縄でいかない現実もあります。さらに、全国各地の銭湯の困りごとや継続に関して「せんとうとまち」のメンバーだけで取り組むのは中々難しいことです。全国の銭湯の相談は受けつつも、それぞれの地域の中で街の銭湯を支えたいと思う街の方々と連携し、銭湯の店主とともに動いて行くことが重要になってきます。また、 銭湯の文化財化を進めるなどの取り組みで、当たり前すぎて気づかなかった銭湯の価値を再認識しつつも、地域の経済として繋がるように模索していく。 そのためには、稲荷湯の長屋のサロン化のように、介護・福祉・教育・地元の産業などの異分野と銭湯が背負ってきた文脈を掛け合わせることにより、さらなる価値を創造していくポテンシャルを感じました。銭湯の文化的側面だけではなく、価値観の転換を図り、時代に合わせた地元の産業としての「銭湯」を見出していきたいと二人は語ります。

古くから街のつながりを伝え、繋ぎ続けてきた銭湯。隣の家の住人がわからないくらい、人や街のつながりが消えつつある現代社会だからこそ、”銭湯”の灯をなくしてはならないと思います。従来のように、生活のインフラとしての使い方だけで銭湯を維持していくのは確かに難しいことかもしれません。しかし、私たちひとりひとりが、人と人の繋がりや街との繋がりを支えている「銭湯の価値」を再認識・発掘することが、”銭湯”を再生していくことにつながると思います。

d design travel改訂東京 BOOK FROM LIFESTOCK

d design travel改訂東京では、稲荷湯を取材しています。ぜひ一度、ご覧になってみてください。

次回、9月16日(金)のd SCHOOLは金継ぎ師の持永かおりさんを講師にお招きし、いまとこれからの「金継ぎ」についてお話をお伺いします。仕事終わりに1杯飲みながら、ちょっと気になる世界の話を聞いてみる、話してみる。そんな時間を過ごしてみませんか。ぜひお気軽にお越しください。詳細は後日SNSでもお知らせいたします。
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