AKITA MOKKO STACKING STOOL No.202 FROM LIFESTOCK

秋田木工は、秋田県湯沢市にある曲木専門の家具ブランドです。曲木とは、天然無垢の木材を100度近くの蒸気で蒸して、水分を含ませた状態で鉄の金型に沿わせて曲げる技術のこと。圧力を受けて変型すると元に戻らない木の特性を利用した技術で、ドイツ人のミシャエル・トーネット(1796年~1871年)が発明しました。

トーネットの椅子が日本(横浜)に到着したのは、1869年(明治2年)。日本では農商務省(現・農林水産省)が明治40年代から国産の材木を利用する事業を進めようと動き出しており、1906年には東京で曲木工場が創業。1909年には曲木椅子の輸入を禁止しており、国産品による国内の供給に加え、輸出も目論んでいたようです。

そうした時流は秋田にも伝わり、湯沢市で養蚕や木炭、木材、反物、小間物などさまざまな事業を行っていた沓沢熊野助さんが曲木事業に乗り出します。東北地方は曲木の材料となるブナも豊富で、それを運ぶ鉄道も開通していました。湯沢市川連町(当時は川連村)には鎌倉時代から続く川連漆器という漆塗りの産業もあり、塗装もできる。家具づくりの環境が整っていたことに加え、東京曲木工場で働いていた曲木技師との出会いも後押しとなり、沓沢さんは1910年に秋田県湯沢市に秋田木工の前身、秋田曲木製作所を設立しました。

曲木家具の加工は、職人たちの手作業によって行われています。治具と呼ばれる鉄の金型づくりも、全て手作業です。曲木独特の美しい曲線を生み出す要となる加工技術で、現在、秋田県の優良技能士として県知事賞を受賞した熟練の職人が担当しています。

蒸した木を鉄型に沿わせて曲げていく加工は、製品によって二人がかりで行われます。木は乾燥すると硬くなってしまうため、わずか5分で仕上げる必要があるそうです。木の状態や製品によって力の加減を変えていくことはもちろん、木と対話しながら、丁寧に作業は行われています。

【 地域・産業 】
初期投資のコスト高が曲木事業参入の障壁に

秋田木工のある秋田県湯沢市は、山形県寄りの南部に位置する日本有数の豪雪地帯です。最寄りの駅は、JR湯沢駅。新幹線は通っておらず、湯沢駅には山形新幹線の新庄駅、もしくは秋田新幹線の大曲駅から奥羽本線に乗り換えて向かいます。
湯沢という名前のとおり、山あいには温泉地があり「小安峡温泉」や「秋ノ宮温泉郷」などが有名です。湯沢市の小野地区は世界三大美人と称される歌人、小野小町生誕の地と伝えられており、雄勝地域にはゆかりの名所や旧跡もあります。全国的に知られている名物は、稲庭うどん。江戸時代初期、稲庭地区に住んでいた佐藤市兵衛さんが、地元産の小麦粉をつかって干しうどん製造したのが始まりとされています。「長く続いている日本酒の酒蔵や味噌、醤油などの発酵食品などをつくる醸造所なども多いんですよ」と秋田木工代表取締役の風巻穣さん。

秋田木工は100年以上にわたって、今も湯沢の工場でつくり続けていますが、曲木家具は湯沢の伝統工芸品にはなっていません。その理由について風巻さんは「曲木家具の製造には、金型やボイラーなど設備の初期投資がかかるため、秋田木工以外に参入する企業がなかったことも要因のひとつ。以前は近隣に関連会社などもありましたが、残ったのは秋田木工だけでした」(風巻さん)。
かつて、曲木家具は全国で生産されていましたが、ブナ材の入手や保管の難しさ、また職人の手で加工していく生産方式のコストなどの理由により、そのほとんどが廃業しました。
秋田木工も経営難により2006年に大塚家具の子会社となり、現在はヤマダホールディングスのグループ会社として曲木家具製造を継続。現在、トーネットの技術を受け継ぎ、曲木家具を専門につくるブランドは日本で秋田木工のみとなります。

【 誕生・デザイン 】
洋風な生活様式と住宅事情、美意識の掛け合わせが生んだ本質的なデザイン(写真:アパート生活展のカタログより)

秋田木工は1958年9月、曲木家具「スタッキングスツールNo.202」を発表しました。東京・銀座松屋で、1950年代後半に普及し始めた2DKのアパートに4人家族が暮らすことをテーマにした「アパート生活展」に出品した後、量産化。2022年の現在も製造されており、これまで125万脚以上販売しているロングセラー商品です。

デザインを手がけたのは、剣持勇デザイン研究所(現・剣持デザイン研究所)。スタッキングスツールの特徴は、曲木によるシンプルな構造で、軽量で丈夫なこと。そして、その名の通りスタッキングできることです。当時、剣持勇デザイン研究所(現・剣持デザイン研究所)でチーフデザイナーを務めていた松本哲夫さんは次のように説明します。
「秋田木工の曲木技術でつくることは決まっていたので、まずは職人たちに生産現場を見せてもらいました。どのくらいの角度まで曲げることができるのか、その強度なども教えてもらった上で、アパート生活展のテーマに合わせてデザインを詰めていきました。当時の公団のアパートを想定しており、ダイニングキッチンといっても決して広い空間ではなかったので、限られた空間を有効的に使えるように、スタッキングするというアイデアが生まれました」。

曲木の技術と、生活様式が洋風に変化していた高度経済成長期という時代性、日本独自の住宅事情、そして、いち早く米国の工業デザインを視察していた剣持勇さんの美意識。これらの掛け合わせによって、曲木特有の美しいカーブの脚と、安定してスタッキングできる機能性を両立させています。その結果、どんなライフスタイルにも馴染む、無駄な要素のない本質的なデザインが生まれました。そのデザインが理に叶った美しさであることは、時代が変わっても支持され、長く売れ続けていることが立証しています。

剣持勇さんは1936年(昭和11年)頃には、曲木家具と関わりを持っていました。当時の秋田木工のカタログには「工芸指導所型」と記された曲木家具が掲載されており、剣持氏が働いていた仙台の工芸指導所の指導があったことが分かっています。剣持さんは、工芸指導所の試作研究で、1958年に発表したスタッキングスツールの原型となるスツールや万能テーブルなども試作していたと言われています。

【 販売 】
長く売り続けてもらえるように仕入れの単位は1脚から

スタッキングスツールのデザインは、1958年の誕生から変わっていません。座面は進化しており、PVC(ビニールレザー)のほか、張地は約30種類ほど用意。流行や地域性も取り入れています。「ウィリアムモリスの生地や、秋田新幹線こまちの座席と同じ生地などもラインアップしています」(風巻さん)。

スタッキングスツールは1958年の発売以来、コンスタントに売れています。「最大月100脚ほど出荷しています。他の家具よりも出荷数は多い。秋田木工のスタッキングスツールよりも安価なスツールは、他社からも販売されています。ただ、フレームや張り地の色が選べて、値段も手頃で、スタッキングできる曲木によるスツールは珍しい。それが売れ続けている理由のひとつだと思います」(風巻さん)。

一時期は大塚家具のみの販売でしたが、現在は卸し売りを再開しています。各小売店の要望にもきめ細かく応えることで、販路拡大を狙っています。たとえば、仕入れのロットは設定せず、小売店は1脚単位で注文できるようにしました。要望があればフレームの色や座面の生地など、小売店オリジナルのスタッキングスツールをつくることも可能です。こうした対応は、秋田で職人が一つひとつ手づくりしているからこそできること。「張地によって印象はガラっと変わり、私たちにとっても新たな気づきになっています。秋田木工や曲木家具の価値を理解し、販売してくれている小売店のニーズに無理なく売り続けてもらうためにも、これからも要望にはできる限り応えていきます」(風巻さん)。

【 環境 】
修理して使いつづけることも環境への配慮

秋田木工の強みのひとつは、アフターケアができること。家具の修理を受け付けており、依頼の数は全体で月10件ほど。スタッキングスツールの修理依頼は、主に座面のベニヤ板と生地の貼り替え。小売店から修理の依頼だけでなく、顧客自ら秋田木工に問い合わせをしてくるケースも少なくありません。修理をして長く使うことは、廃棄物を増やさず、ひいては自然環境への負担軽減にも僅かながらつながるはずです。

二酸化炭素の排出についても、微力ながら配慮しています。曲木家具をつくるとき、木を柔らかくするための蒸気が欠かせません。毎日、ボイラーで蒸気を出していますが、できるだけ家具づくりの工程で出る端材を燃料にしています。「二酸化炭素の排出を少しでも減らすため極力、化石燃料は使わないようにしています。ただ、工場で出る木材だけはまかないきれないので、端材で湧かすのは週5日のうち1.5日、化石燃料である重油は3.5日。最近は、他の木工所で出たフローリング材などの端材を購入して、燃料にすることもあります」(風巻さん)

材料にまつわる環境も変化しているそうです。秋田木工では東北地方の木材のほか、製品によっては海外から輸入した木料も使用しています。ただ、今は米国や中国の好景気やウクライナ問題などにより、各国の木材の需要に変化が起こり、海外の木材が手に入りにくい状況です。「それに伴い、国産の木材の価格が高騰しています。重油や木材以外の材料も値上りしており、商品価格も見直を検討している段階です。スタッキングスツールは、今のところ現状維持を保っています」(風巻さん)。

【 仲間 】
曲木技術を継承する働く仲間づくりは課題

秋田木工で働いている社員は、現在64人在籍しています(2022年7月現在)。従業員の年齢層は20代から70代と幅広い。ただ、40歳以下は全体の5分の1程度で、最も多いのは60代から70代。若い世代を採用し、“働く仲間”を育てていくことは、秋田木工の大きな課題の一つです。「60代以上の職人たちは、先輩たちの仕事を“見て覚えた”世代。教えてもらっていないから、教え方が分からないという声も多い。教える側のモチベーションを高める仕組みを考えることも、私の役割だと思っています」(風巻さん)。

スタッキングスツールの愛用者をはじめ、秋田木工ファンとのコミュニケーションの仕組みは、今のところ構築されていません。「今後、やるべきことのひとつ。SNSも活用しながら、日本で唯一の曲木専門家具ブランドであることや、どういった職人がどんな思いでつくっているかといった秋田木工の価値を発信していきたい」(風巻さん)

秋田の方々との交流にも、注力しています。以前から春と秋の年2回、実施されている湯沢にある工場で直販の特売会を、近年は秋田市内の商業施設でも開催しています。試作品やアウトレット品など、半額近くで販売する商品もあるそうです。「商品を購入してくれる方々と職人が交流する機会にもなっています。秋田木工や商品に対するご意見を聞くこともでき、従業員のモチベーションを高めるきっかけにもなっています」(風巻さん)

 

9月30日までclub d by D&DESIGNで『AKITA MOKKO STACKING STOOL No.202 FROM LIFESTOCK展』を開催中。詳細はこちら

 

写真:秋田木工株式会社HPより