d SCHOOL「わかりやすい林業」開催レポート〈前編〉

2022年5月~8月にかけてD&DEPARTMENT東京店で開催中の展覧会「森と街をつなぐ 山のしごと」展にあわせ、「山のしごと」を通して、森と、私たちの暮らしや街のつながりについて考える勉強会を開催しました。

展覧会の共同主催である「東京チェンソーズ」より吉田尚樹さん、東京チェンソーズとともに里山整備に取り組んでいる「東向山簗田寺(とうこうざんりょうでんじ)」の副住職 齋藤紘良さんを講師に迎え、彼らが取り組む東京都町田市の里山整備の活動を通して、山のしごとと街づくりの関係性を紐解きました。

 

東京チェンソーズが目指すのは「森と街が共生する世界」

八王子市のさらに西にある人口2000人ほどの村「檜原村」を拠点に林業を営む「東京チェンソーズ」は、2006年創業、17年ほど前に4人で立ち上げられました。檜原村の面積の93%が森で、そのうちの約6割ほどが、戦後、国の方針によって植えられたスギ、ヒノキ、サワラなどの人工林。樹齢70年、直径30~40cm、長さ4mほどある木が平均1本3000円で取引され、国の補助金などによってなんとか林業が成り立っている現状に日々向き合いながら、森を育て木を収穫する従来の林業会社とは少し異なる挑戦を通して、いかに『森の価値を最大化していくか』を日々考え活動されています。

活動の柱は、「森づくり」「ものづくり」「ことづくり」。これまで営まれてきた、山をつくり、木を植え育てる「森づくり」を根幹に、伐採した木を加工し付加価値を付けプロダクトに落とし込む「ものづくり」、実際に山や街で森を感じてもらう「ことづくり」の3つを柱に、見えにくくなっている森の価値を再発見し、最大化していくことを目指しています。

30年の時間をかけて東京にしっかりと手入れされた美しい森林をつくるプロジェクト「東京美林倶楽部」。街に出向き森のカケラを使ったワークショップで木の心地よさを伝える「森デリバリー」。

檜原村の山の木を使い誕生した、D&DEPARTMENTのオリジナル商品「CORNER SHELF」と「BALCONY TABLE」。

「一本まるごと販売」の考え方も、「森の価値の最大化」から生まれました。

山に入ると、木はまるまる一本、さまざまなパーツがあることがわかります。しかし、それらのほとんどが活用、流通されておらず、市場に出た丸太も製材する過程で使えない部分が出てくるので、最終的には全体の3割程度しか活用されていません。こうした現状を踏まえ、東京チェンソーズでは、活用されていない分を安く販売するのではなく、加工やデザイナーの力で付加価値をつけることで、その価値を最大化することにも取り組んでいます。

例えば、70年育ったヒノキの「根株」。普段は土に埋もれている部分なので、なかなか目にする機会はありませんが、1~2トンある木を70年支え続けてきた結晶が、繊維の入り方、木目の面白さになって表れており、エネルギーの塊のような美しさをもっています。「世の中に流通していないことがもったいない」と吉田さん。価格構造的に成り立っていない一本丸ごとにどう価値をつけるかということはもちろん、世の中に流通していない美しいものを世に出していくことも、東京チェンソーズの活動の軸になっています。

きれいな水、空気を生み出す健やかな森づくりは、それらの恵みを享受する私たちの暮らしに直結しています。木を植え、育て、収穫し、活用する。そしてそれらをちゃんと繰り返す。見えなくなってしまった森と街の距離感を、少しずつ近づけていく東京チェンソーズの取り組みからは、森と街が共生する未来を見据え、一人一人が自分ごととして森を捉えることの必要性を教えてくれます。

 

「いつも人がいる寺」を目指して見据える500年

1629年に開山した「東向山簗田寺」は、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形から「谷戸(やと)」とも呼ばれる、東京都町田市の忠生地域にあります。齋藤さんは、この忠生地域独特の暮らしや土地の記憶について学びながら、先の500年間ずっと続く人と場のあり方を考えようと、簗田寺の副住職をしながら、「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」のディレクターや保育施設の運営、寺院の再興、500年間続く祭りの創造、映像番組などへの楽曲提供など、多岐にわたる活動に取り組んでいます。

副住職として、今後どうやってお寺を守り、継いでいくか。20~30年という自分自身の人生のステップで考えるのではなく、長い歴史の中で代々続いてきたお寺の視点で考える必要があるとの思いから、想像し得る一番長い時間の間隔として500年先の未来を見据えて運営に取り組む「RESIZED project」を始動。関わる人々の範囲や運営事業、施設の存続年数などを、これまでとは異なる視点で捉え直すことで、新しい継承の仕組みを探っています。

「関係性を絶やさないことを大切にしているお寺は、宗教というよりも哲学。関係人口や関係するものを増やすことによって、結果的に、人を傷つけない、つつましく生きることにつながる」と齋藤さん。里山から生まれたもの(貨幣、物々交換)を介して人が行き交い、墓地(信仰交換)を通して思いを馳せる。人が集まるところには、何かしらの交換が行われていると考え、梁田寺の中にも“関係”をつくるための“〇〇交換”を取り入れ、様々な価値、入口をつくることで、関係から生まれる幸せ、楽しみの実現を目指しています。

仏の教えを体現する場として、人々が集い交流する、「いつも人がいる寺」であり続けるための拠点として運用が始まった「食堂」と「宿坊」。

この「食堂」と「宿坊」の設計が進む中で、梁田寺の裏の山でとれた木を使って家具を作れないかという話になり、東京チェンソーズとの協働が始まります。

→ 後編へ続く