85:  地

地ビールの「地」です。今日、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんと話をしていて「地芝居」という言葉が出てきた。おくださんの専門領域の歌舞伎にも、地方に行くと神社などを舞台に、農民や町民が見よう見まねで、収穫などのよろこびを芸能で表現する世界があり、それに「地」をつけていた。

その話を聞いていて、これからは益々「地」の時代になっていくように思いました。

今、準備している(ヒカリエd47museumで12月から開催する)「LONG LIFE DESIGN.2 祈りのデザイン(民藝的現代デザイン)」に関わっていたことで、民藝にある「作為的ではない、日常に根を下ろした健やかな量産ものづくりの中から生まれる美」ということと、この農民歌舞伎がなんだか重なった。

プロではない、そのことで生計を立てているわけではない踊りは、どこか野球の世界でいうプロと高校野球にあるものを思い出す。年俸など何かを期待することなく、純粋に白い球を追い求める純真な気持ち。具体的な「あの人」を思いながら、改善されていく農具にみる美しさ・・・・。

そういえば、「男の料理」ってありました。一番じゃなく、二番。色々専門的に考えず、とにかく楽しくざっくりとした。雑だけれど、まあまあ美味い・・・・・。それと「地」は似てないようで似ている。味を追求することはするのだけれど、大きなマーケットを追わないことで、なんとなくその土地の個性が伝わる。なんとなく、架空のターゲットを設定したものづくりではない、具体的なものづくり。

銀座の歌舞伎座は、チケットはなかなか取れないし、昔、あんなに気軽にスッと入れた立ち見席も、整理券を配って仰々しくなった。つまり大人になったし、具体的な常連さんを見てのサービスではなく、不特定多数を相手にしたクレームなどが起こらないシステムとなった。都会で「歌舞伎」を見にいく人は、おくださんが巡り紹介する農村歌舞伎にある健やかな祈りや喜びよりも、なんとなく知的で高尚さ、文化的な見識を深め文化人を目指すなんか、見栄に近いものが割とあるように感じるのは僕だけだろうか・・・・・。

地踊りにはそんなものはない。ヤジも投げ銭も飛び交い、ゴザに座って持ってきたものを飲み食う。そこには「頑張れよ」とか、「ずいぶん上手くなったなぁ」とか「あいつ、大丈夫かぃ」といった双方向の気持ちの行き来がある。踊っている人々はプロではなく、豊作の喜びなんかを体で示している。その一種、ぎこちなく一生懸命な踊りこそ、心から感動するのではないか・・・・・・。

心が地面に根を張り、しっかりそこから芽を出しているような、土地に紐付いた本来の姿。そんなことを思いながら「地」って、いいな、と、思いました。