深澤直人著 『ふつう』「あとがき」

あとがき

私はこの連載で主にデザインに焦点をあてて、「ふつう」というわかりにくい概念を考え続けてきました。

今までの工業社会で一番「ふつう」を作ってきたデザイナーはディーター・ラムスだと思います。謙虚で突出しないという信念を貫いてきた人です。彼は人生をかけて正しいデザインに取り組んできました。それは彼の生きる姿勢でもありました。彼は工業デザイナーの草分け的存在であり、我々のようなデザイナーの師匠的存在でした。彼がデザイン部門を率いてきたブラウンという工業製品のお手本のようなドイツの家電会社は、マーケティング戦略をもとにデザインを行なうアメリカの大手企業に買収されました。そのとき彼はブラウンを辞めました。デザインすることも止めてしまいました。そしてその後の15年ほどの間にデザイン界は大きく揺れました。デザイナーが皆指標を失い、船酔い状態になった時期です。しかしそれを経て再び彼のデザイン思想は多くの、特に若いデザイナーに支持されるようになりました。その中で最も大きな影響を与えられたのがアップルでした。コンピューターのデザインが、ハードウエアからソフトウエアやグラフィカルユーザーインターフェース、アプリケーションの開発に変わリ、そしてハードの存在自体がなくなる未来を知っていても、創業者のスティーブ・ジョブズはもののデザインにこだわり続けました。そのデザイン部門を牽引したのがジョナサン・アイブでした。彼はデザインを極め尽くした後に、昨年(2019年)アップルを去りました。


*写真は書籍より

「やり尽くしたデザイン」はディーター・ラムス以降にはなかったと思います。デザインは一般的にどこかが破綻していたり、なんらかの理由でデザイナーが妥協したりするものでした。それが違和感として受け手には伝わるのです。その違和感を取り除き周囲と完全に調和することを我々デザイナーは「ふつう」と称したのかもしれません。アップルが目指してきたのは「ふつう」だった、と思うのです。そのあたり前に美しいPCやスマホ、アップルストアやアップルパークも、完璧なふつうの具現だったのです。

もしかするとこの「ふつう」という概念は、我々デザイナーが暗黙のうちに目指しているキーワードなのかもしれません。「あるべき姿」であり、ユングの言う「集合的無意識」や「元型」にあたるもの、あるいは、平野啓一郎が私のデザインを指して言った「近接的無関心」なるものかもしれません。「近接的無関心」はそこに存在しているだけでいいもののこと。独りになると寂しいけど、うるさく構われたくない、でも側にはいてほしいという欲求を満たしていることと理解しています。これこそ「ふつう」の概念ではないかと思うのです。

人は「違和感」に気づきやすいですが、「調和」とは何をして感じられているのかはわかりにくいものです。人間には「いい」と感じる感覚器が備わっていると信じますが、「なぜいいか」とはあまり考えないのです。 ただ感じるだけ。私は「ふつう」とは何かを絶え間なく考えているのです。

ふつうということがいかに素晴らしいかということを、人は暗黙のうちにわかっていると思います。

深澤直人
(書籍『ふつう』 あとがき より)

*ポートレート撮影:山中慎太郎(Qsyum!)


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