スタッフの商品日記 069 RIKI CLOCK

軽やかさと、存在感を確立した、普遍的なデザイン時計

1.どんな場所にも馴染む、プライウッドのフレーム
2.近くからでも、遠くからでも見やすく、かつ、優雅な数字の書体
3.主張しすぎないよう配慮された、数字の色

プロダクトデザイナーの巨匠、渡辺力が92歳でデザインした掛時計。文字盤はシンプルな目盛りと大きな文字で、視認性に優れている。木枠部分は、タンバリンやドラムなどの楽器を作る成型合板の技術を応用し、日本の職人が作り、その技術を日本に残していくことを考えてデザインされた。2004年グッドデザイン賞受賞。




渡辺 力(ワタナベ リキ)
日本の昭和時代を代表するプロダクトデザイナー。東京高等工芸学校木材工芸科卒業。母校助教授、東京帝国大学(現東京大学)林学科助手等を経て、1949年日本初のデザイン事務所を設立。東京造形大学室内建築科、クラフトセンター・ジャパン、日本インダストリアルデザイナー協会、日本デザインコミッティーの創設に深く関わる。京王プラザホテル、プリンスホテルなどのインテリアデザイン、ヒモイス、トリイスツール等の家具、また壁時計に始まり日比谷第一生命ポール時計などパブリッククロック、ウォッチまで時計の仕事はライフワークとなった。ミラノ・トリエンナーレ展金賞、毎日デザイン賞、紫綬褒章など受賞多数。2006年、東京国立近代美術館にて「渡辺力・リビングデザインの革新」展を開催。




RIKI CLOCKの誕生
渡辺力氏は、1970年代に幾つものクロックをデザインしたが、時計自体がまだ高価だったこと(70年代当時と今の価格がほぼ同じ)、世の中のモダンデザインに対する認識が低かったこともあり、建築家やデザイナーに愛されながらも次々に生産中止となり、80年代後半に量産クロックのデザインは一度、終焉となったが、2002年、タカタレムノスとの繋がりから、同氏のクロックデザインが蘇ることとなった。

何度も原寸大スケッチを作っては壁に貼って眺め、修正を繰り返し、さらには発売後にも細かな修正で文字盤の印刷版を作り直した。当時はイメージに近い既製品の針を使うことがほとんどだったが微妙なサイズには対応できず、多くのパブリッククロックをデザインしてきた経験から単純切断のローコスト特注針を使う工夫で、数字の次に大切な文字盤のバランスを実現できた。「軽やかさ」から数字の書体はBERNHARD TANGOを使い、枠はプライウッドを採用。また通常白黒反転などのカラー展開するところを「必要なし」と判断し、白の文字盤のみ発売された。「軽やかさ」をイメージしていた渡辺力と、数年前に発見、実現したプライウッドの枠の可能性を模索していたタカタレムノス高田社長の思いが一致して、「RIKI CLOCK」が誕生した。


スケッチ資料(黒の文字盤は未発売)


CBS DIDOT
「時計のデザインは、使う数字の書体を“見つけた”時点で8割方終わっている」とまで言っていたように、同氏の数字に対するこだわりは凄まじいというほどだった。ひとつの書体で0から9まですべてバランスよく整っているものは意外に少なく、近くで見て良くても離れて見るとダメな場合、円形に並べてみるとまた違った見え方になり、選んだ後で幾つかの数字を修正することもあった。そんな中で正に発見したのがRIKI CLOCKにも使われている「CBS DIDOT」。

1970年代初め頃、同氏の友人であるグラフィックデザイナー原弘氏がアメリカから持ち帰った本に出ていたその書体は、CBS放送のCI戦略として副社長兼アートディレクターであったルウ・ドーフスマンの依頼を受け、フリーマン・クロウによってデザインされたものだった。極端だけど優雅な太細のバランス、遠目に見ても判別性が高く、全ての数字が整っているこの書体にほれ込み、CBSの許可を取り、時計のデザインに応用した。満を持してCBS書体を使ったデザインを2004年に発表。


プライウッドの枠に納めるために計算されたバランス


デザイン時から数年、スケッチは渡辺力氏の自室に貼られたままだった。


製造工程の様子


丁寧に1点1点手作業


「軽やかさ」のひとつでもあるプライウッド枠


つづく仲間
製造・販売元であるタカタレムノスの歴史は1947年、高岡市白金町にて、黄銅生型鋳物による浄土真宗用仏具の製造の個人創業に始まった。

仏具製造をするなかで知人の紹介により、1966年に服部時計店工場精工舎(現セイコータイムクリエーション株式会社)との取引を行い、本格的な時計事業を開始。1974年には、株式会社精工舎から東京迎賓館へ納められた時計の本体を手掛けた。


当時の資料


東京迎賓館へ納められた時計

1977年、高岡市戸出栄町高岡銅器団地内に戸出工場が竣工。株式会社高田製作所に社名を組織変更。その後、時計事業部を立ち上げ株式会社精工舎の協力工場となった。また鋳物による時計枠を利用した記念品、販促品に使用する商品の企画製造を開始。


黄銅生型鋳物


漆塗による時計枠


当時の工場内

1984年、タカタレムノス創業。自社ブランドとして開発したGANBARA「HOLA」が1989年にグッドデザイン賞やニューヨーククーパーヒューイットミュージアムの永久展示品に選定されるなど、革新的で永続的な美しさを提案している。「美しいものは感性を刺激し、知性を高め、その人の心を豊かなものにする」この思いを実現させるために、多くの著名なデザイナーと協業し、日本各地の創造性豊かな作り手と妥協のないモノづくりを行なっている。短期間で消費される企画ではなく、いつまでも愛されるロングライフデザインを基本に考え、細部に徹底的にこだわり、美しさをカタチにし、デザインをベースに長期に渡って販売できることを強みとしている。


東京ショールーム/Photo by Takumi Ota


つづく暮らし
国内の自社工場で一つ一つ丁寧に作っている。多品種、小量生産を実現させて、廃棄物を減らし、無駄のないシンプルなモノづくりを行なっている。長く使ってもらうために、修理体制を充実させると共に、設計にも工夫を凝らしている。


お気に入りのポイント
日本を代表するプロダクトデザイナー、故・渡辺力がデザインしたRIKI CLOCK は、何と言っても視認性が良い。渡辺は「時計のデザインは、文字盤に使う書体を見つけた時点で8割終わっている」と言っていたという。書体「CBS DIDOT」は、力強さと優雅さを兼ね備え、どの数字のバランスもよいことに渡辺が惚れ込み、採用された。フレームは、タンバリンの枠と同じプライウッド。元々、樹脂製商品のコピーが出回るようになったことへの対策から考えだされたものだ。工場を訪れると、ひとつの時計のサイズに対して、2、3種の文字盤・ガラス板が用意されていた。プライウッドは、素材が木であるため微妙に伸縮する。時計は、1mmの誤差も許されないため、木枠に合わせるために、時には、文字盤・ガラス板を枠に合わせて削ることもある。この時計は、渡辺が92歳の時にデザインした。ライフワークとして生涯時計をデザインし続けてきた深い経験値に加え、年齢を重ねた自身を含め、誰にとっても、どんな場所でも見やすくアクセントになる時計が生まれた。(進藤仁美/富山店)


時計は、時間を刻むと同時に生活の一部のような存在であってほしいなと思い渡辺力さんのリキクロック太文字を選びました。プライウッドの木製フレームはシンプルでインテリアにも合わせやすく、何より数字が本当に見やすい!4歳になる子供も数字を覚えてきたので、「ママー、8時まで〇〇していい?」聞いてきたり目が悪くなってきた70代の母も見やすいと話していたのでプレゼントしたところ、喜んでくれていました。世代を超えて愛されるそんな時計です。(長島加奈恵/d47 design travel store)




渡辺力さんの時計を初めて買ったのは、10年くらい前でした。掛時計ではなく、腕時計を。文字盤のデザインは掛時計と同じもので、視認性もよく、気に入って使っていました。目が悪い祖父と祖母にプレゼントした際も、見やすいとずっと使ってくれていた、大好きなデザインです。掛時計があることを後に知り(実際には掛時計の方が早くに誕生している)友人へプレゼントしたりしています。デスクの近くにも掛けているので、仕事中も、チラチラ見ている、身近な時計。(辻岡由/商品部)


スタッフ使用例


高橋恵子/D&DESIGN


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