スタッフの商品日記 028 天童木工 水之江ダイニングチェア

100回以上もの試作を重ねた椅子

数年前に旅行で山形を訪れた際、天童木工の工場見学に伺った事があります。エントランスを入ると受付はもちろん建材などに成型合板が使用されており、中でもショールームから工場へと繋がるチューブ状になっている通路は、壁一面にカーブしている成型合板が敷き詰めてあり天童木工の成形合板へのこだわりと技術力を実際に見る事が出来ました。
そうした成型合板の技術を日本で初めて取り入れた天童木工は、1940年、近郊の大工、建具などの職人が結成した工業組合『天童木工家具建具工業組合』がはじまりです。

つづく産業
将棋の駒などの木工業がさかんな山形県天童市に本社をかまえる天童木工は、「成型合板」の技術を日本で初めて取り入れた家具メーカーです。戦中はおとり戦闘機などの軍需品を手がけ、戦後には、これまでの技術を使い「ちゃぶ台」など家庭用家具の生産を開始しヒット商品となりました。
その後、当時日本で1台しかなかった成型合板の機械を購入し、いち早く成型合板の技術を実用化させ、社外のデザイナーを起用しての美しい曲線を描く成型合板の家具が主力商品となっていきます。


成型合板とは、単板と呼ばれる薄くスライスした木の板を重ね合わせ、さまざまな形状につくり出す技術。


その製品は軽く丈夫で、無垢材では表現が困難な、複雑な曲線を可能にしました。

つづく仲間
天童木工の家具は、成型合板とデザイナーとの出会いから発展しました。戦後、天童市の隣の東根市に進駐軍が来ることになり、欧風の家具を大量に発注されるも、元となるモデルがありませんでした。そこで当時、仙台の工芸指導所の剣持勇がデザイナーとして製作指導に当たりました。1954年には、デザイナー柳宗理と天童木工が出会います。バタフライスツールの原型を持ち仙台の産業試験所を訪問した柳宗理は天童木工を紹介されます。複雑な曲面を持つバタフライスツールは天童木工にとっては初めての本格的な3次元の成型合板で完成までに約3年の月日を要しましたが、この経験がのちの複雑な曲面の成形合板の製作に役立つことになります。その後も、デザイナーのアイデアと熱練の職人技が生んだ自由な造形の家具が作られていき、これまでに天童木工でデザインをした建築家、デザイナーは、国内外を含め70名近くになります。

D&DEPARTMENTで取り扱いのある水之江ダイニングチェアも3次元の成型合板を使用しています。

水之江ダイニングチェアは背面と座面に形状に3次曲線が使われており、座面では前後左右の繊細な曲線を見る事が出来ます。この曲線が座る人のからだにより添い快適な座り心地を生みます。

水之江ダイニングチェアは、神奈川県立図書館の閲覧用のイスとして生まれました。

現在の形に至るまでに、100回以上もの試作を重ね、座面の形状や位置など何度も検討され座りやすさを求めて改良された現在の水之江ダイニングチェアが完成しました。

またこの椅子は、どの角度から見ても美しく見えるようにと、背・座・サイドフレーム・貫(ぬき)だけで構成されたシンプルな構造。全ての部材がお互いを支え合っており精密さが求められる工程は難しい作業で、熟練した技術を持った職人によるものです。

お気に入りのポイント
D&DEPARTMENT東京店のスタッフルームは水之江ダイニングチェアを使用しており、スタッフにとっては馴染みのある椅子です。特に私は水之江ダイニングチェアには、何度も救われました。腰痛がある私は、腰痛が酷い時にはデスクワークでオフィスチェアに5分も座る事が出来ませんでした。しかし水之江ダイニングチェアをデスクで使用すると不思議と長時間座ることができました。私に合っていたのだと思います。それから水之江ダイニングチェアの座面の曲線に、より愛着を持っています。

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