102:考え・デザインし過ぎない強さ

東京を離れる時間が長くなり、デザイン系の本もめっきり見なくなり(文献に関しては勉強していますが)、そして、地方、田舎の昔からあるパッケージデザインなどにどんどん触れる時間が増えていくと、いわゆる「デザイン」しているものと、素人がデザインしたもの、プロがデザインした本当によくできたものの3つがあることに気づきます。もう少し書くと、素人のデザインにも、全くバランスの取れていないデザインになっていないものと、素人ながら、絶妙にいい味を出しているものがあります。最近、そんなことで「デザインし過ぎない」ということに、とても関心が湧いています。

この「デザインし過ぎない」「デザインしない」ということは、かなり前からデザイナーの間で話題になりました。デザインし過ぎるとは、別の言い方をすると「流行りのデザインをする」ということです。プロのデザイナーでも、そこに気づいていない人がたくさんいます。うまく言えませんが、整えていけばいくほど、何かに似てきます。それによって類似するものと差別できなくなり、なんとなく「似ているものがたくさんある」状態になります。

デザイナーはやはり無意識にバランスを整え、美しくしたいとデザインしていきます。揃えれば揃えるほど、どうしても似ていく。面白い世界です。

今、ある飲食店のデザインをしています。昔から使っていたロゴタイプを見直し、シンボルマークとの組み合わせのバランスを整えてあげて、それで商品パッケージをデザインする、という仕事です。これまで使ってきたロゴタイプは絶妙にバランスが悪い。しかし、それを整え過ぎると、前記した通り、個性がなくなってしまいます。そこで考えたのが「どうバランスをとるか」です。ここに「その店の人格」を想定して、ちょっとあえて簡単に言うと、「やんちゃ」なのか「真面目」なのか「きっちり」しているのか「自由奔放」なのか、そこらあたりの表現の振れ幅を決めます。

日本酒のラベルの多くは書家による筆文字です。書家に真面目に書いてもらうと、中学生の上手な人の字のような、上手だけれど、ただの筆文字だね、と言うことになります。パソコンで作りだすデザインにも同じことが言えます。なので、書家はコントロール不能な長い毛筆の筆や、左手で書いたり、小学生の息子に書かせたりしています。「字であり、字でない」そんなところを狙う訳です。

毛筆の世界に「ただ上手」な人と「なんだか個性的な造形字を書ける人」がいるように、コンピュータのデザインの世界にもそれがあります。
と言うことで、しばらくはこの飲食店の文字と格闘します。出来上がったら、ここにまた披露しますね。