93:  不自由な季節を持つ

本社移転の候補地探しは未だ難航しながらも、一つ一つ、一人一人丁寧に会いに行っています。そんな中で先日は長野へ。避けてきたようなところがある「雪」がふるエリア。この長野の場所は比較的雪の少ない場所と「長野の方」は言っていますが、現地近くのホームセンターの入り口に、ドーンと「雪かきスコップ」が何種類も吊るして売っていたのが、やはりそこのところを神経質に感じていたので、すぐに目につきました。社長はとにかく「寒いところは嫌」と。とにかく車を動かすのに、いちいち時間をかけて雪かきをしなくてはならない生活は、経験がないのでその不自由さが怖いのでした。

2月22日まで好評につき延長した渋谷ヒカリエ8/d47museumでの「47都道府県の祈りのデザイン展」は、NHKの取材で2度に分けて放送されるなど、社会に少しだけそうした健やかなるものづくりについて考えるきっかけを提供できたと思っています。そして、この47museumの企画、収集、展示をしていて思うことがあります。それは「北のものづくり、南のものづくり」と言うものです。それをやや乱暴ですが、一言でいうと「不自由な季節がある、ない」ということと、今、移転先を考えていて思うのです。つまり「雪」です。同時に、変な言い方にも聞こえてしまうかもですが「どうしてそんな不自由なところに暮らしている人がいるのか」ということ。もちろん生まれ育った土地が雪国の人は、それは「当たり前」に考えもしないでしょう。しかし、雪が降り、大変な思いをする季節のない土地はいくらでもあります。なぜそこに移り住まないのか。雪の季節がないことで、生活収入に影響する、例えば農家さんなんかは、そこをどう考えているのか・・・・・。と、書きながらも、すでにうっすら自問自答しながらも答えは薄っすら見えています。「合理性では考えていない」のです。「育った土地が好き」なのです。そして「雪の降らない土地には絶対に感じられない感動や、時間のゆったりとした流れ」があるからでしょう。その証拠に、北のものづくりは、とにかく緻密で時間をかけています。そして、じっくりと考え、思い、丁寧に仕上げてある。もちろん、南の方のものづくりがそうではないという話ではありませんが、僕は「雪の積もった不自由な季節」を持つ地域の人々の思考に、少し、いえ、かなり憧れを持っています。それは「物理的に不自由」で、「どうすることもではない環境」を受け入れながらも、創作をするということから生まれる発想、表現というものがあるのでしょう。北欧や白夜の国のものづくりに「色」に対する私たち日本人と違う発想があるようにです。

長らく住み暮らした東京は、よくよく考えたら「快適」すぎます。もちろん突発的な天災にはか弱過ぎますが、バランスよく常に快適を確保し、経済の中心として機能しています。だからこそできることに特化している。休むことなく・・・・・。

強制的に休みがある雪のある土地で「クリエイション」をしたらどうなるのか。本店を移転して、そこにくっついて「つくる」ということをしたら、どんな生活があり、そこからどんな発想が生まれるのか。東京にいたら存在しなかったであろう「時間」がじわっと現れるのか・・・・・。その不自由は、もしかしたら多大なる自由をくれる、ような、気がしてきました。


d北海道店の冬の様子。彼らと接していると、春夏秋冬に対するメリハリを感じる。それは「動と静」そんな土地へ引っ越すかもしれないことから、そんな「不自由さの自由」を自分事として考えてみています。