89:  友人の家のような

先日、メルマガ事務局の葛城さん、金谷さんが静岡の自宅に遊びにきてくれました。静岡の自宅は最寄りの新東名「新富士」インターから約1時間。東京渋谷からなら約2時間の距離で「フラッと寄ってね」という距離でもないし、来るなら泊まりでという感じ。なので大抵、泊まって呑む。

僕は基本的に人が苦手で、まして自分の家に人を泊める、もしくは人の家に泊まるなんてことは、できたら遠慮したいほうです。そんな自分が「そんなこと」すら感じずに「来てきて!!(つまり、泊まりに来て)」と、言える人がいるんだなぁと、葛城さんたちといて思ったのでした。今更ですが・・・・。
それがどうしてか、どういう人がそう思えるのかは、考えたくもありませんが、そういう人っているんだと思いました。

泊まりにくる翌日の夜中に楽しそうに掃除をしている僕を他所に、ピアノの練習に夢中な妻が、僕の様子を見て「年末の大掃除より、掃除してるね」と。それがまたそれとは全く違う、なんというか、いい格好をしたいということも含めて、明日くる友人たちのためなのでした。これをしたいか、したくないか。極論はそこにあると思いました。

もし、仮に1日1組だけを泊める宿の主人となったとする。どこの誰だかわからない客には、やはり掃除も「掃除」としての業務になってしまうでしょう。でも、だんだんと行きつけになってお互いに素性がわかってくると、そう言えば、先日、そんなことを北陸のある宿の主人が何かに書いてました。「お客さんに期待をしないで、別荘の管理人くらいに思ってもらえると、お互いに楽になる」と。

掃除のつづきの話です。妻が「定期的に誰か泊まりに来てくれると、いつも片付いていいね」と。まぁ、呑気なことを言っていますが、実際、いつお客さんが来るかわからない店の掃除は、本当に気をつけないと「ただの業務」になってなんだったら「適当」になる。しかし、数年前から憧れていた人が来店するとか、自分事になった途端、自分も格好をつけたいし、その人のためを思って掃除の仕方が業務ではなくなる。

お正月をそんな静岡で過ごし、東京の自宅に帰ってきたとき、その自分たち仕様に安堵すると同時に、「ここにはお客さんは呼べない」と思いました。「二人だけの居心地」というのは確実にありますが、僕はやはり「少し緊張した場所」にいたいと思うのです。なぜかというと「デザイナー」だからです。そんな程よい緊張感を作り出す、続けるには、やはり「たまに友人がやってくる」くらいにしないとなぁと、新年早々思うのでした。

すみません、いい写真が撮れなかったので・・・・。中央お二人が葛城さん(左)、金谷さん(右)です。初めてのメルマガの焚き火ライブ配信の日が極寒で、それでもいつもより多めに薪をくべ、楽しく暖かく配信できました。またやりまーす。