16 USEDをなぜやっているのか

D&DEPARTMENTはなぜ、「USED」を扱っているのでしょう。今日はその理由を書いてみたいと思います。

2000年に誕生したD&DEPARTMENT(以下d)は、物が溢れる世の中では、もう新しくデザインを生むなんてことは必要ないのではないか、と考え、新しく生まれる新商品ではなく、「すでに世の中にあるいいデザイン」を集めてみようと考えていました。しかし、資金があまりにもなかったので、そうしたものを世の中のリサイクルショップから見つけ出そうということとして、最初は店頭に「デザインリサイクル」という看板を出していました。

リサイクルショップを巡っていてひとつの傾向を感じました。とてもデザインがしっかりとしていて、メーカーの意識を感じるようなものが大量に売り場にはありました。1998年のことです。そうしたものを調べていくと「1960年」代に作られたものばかりでした。僕はここには「20年周期」みたいな者があるように感じました。

1960年代に生まれた者たちが、1980年代のものたちと混ざり合い、2000年のリサイクル店でまるでゴミのように扱われている。時代はものの産み方、デザインの考え方、売り方などを変化させていきます。デザイン意識の強かった量産の時代が1960年、高度経済成長で量産使い捨てが1980年。2000年にまた新たにデザインブーム。ここではデザインマンションや家電が誕生してデザインへの意識が40年前と違って進化している。

1998年の創業準備の頃に戻ります。そこには、大量の事務デスクやロッカーなどが流出していました。一方でしっかりと作られた生活用品も。ここに2つの未来のデザインを探る糸口を感じました。一つは「日常生活では使わない、けれど、使ったら面白そうな業務用で誕生したもの」これを「目利き」して、生活の中に取り入れる。流行ではなく、機能美として使う。やがてこれらは「…のようなもの」という言い方で机に使ったり、テレビ代に使ったりと、まさに使う側の想像次第でゴミが用途を持ち、生き生きと生活の中で活躍する。これは「見立て」という日本の茶の文化にある発想。「なんでもないものを生活道具として見立てる」これが一つ。

もう一つは、意思を持って生まれてきた道具。時代の流れで生まれてきたようなものも入るかもしれません。企業の原点のようなもの。日本がプロダクツで頑張っていた頃のもの…。そうしたものは、次のものづくりのヒントになる。そう思います。

ダラダラと書きましたが、つまり「新しいものを生み出すための予習」をするためにUSEDを集めたり、洗って再販売したり、買い取ったりしています。どんなに時代が変化しても「買い取れる価値のあるもの」を見極めたり、意識する。そうすると、どんなものを作らなくてはならないかが、見えてきます。

dにとって「USED」は、未来に向けたものづくりの見立ての修行と言えます。ゴミ処理場で見つける。リサイクル屋で見つける。店への持ち込みで判断する…。

USEDを見るということは、誰も評価しなくなったものの中に、未来を見つけること。まだある価値を拾い出すこと。それは、一人ひとりの価値観が働く、とても創造的な行為だと思うのです。

時間が証明した価値を引き続き、紹介販売していくことと並行して、捨てられる寸前の中から価値を見つけ出す。または、業務用とされたものの中から、日用品を見つけ出す。その「目利き」を養い鍛える。それがdがUSEDをやっている理由です。

実はある「どの商品、形のものが正解か」は、はっきりマニュアルやルールにしていませんが、これから20年は使えるデザインかどうかを見極める意識で、やってみると、ものの生命力が見え、感じ始めるそんな世界があるのです。

創業当初も今も、そんな現場でものを探すことを「救出する」と言っています。「ものを捨てる」という行為は、時代によって本当にわかりやすくリサイクル店などに押し寄せます。今という時代は耐震問題での取り壊し、過疎化した集落の取り壊し、中心市街地への移り住みによる、過疎化の取り壊しなどで、生活道具や公民館のベンチや美術館の備品などが出てきています。ここに未来の価値を見出せないなら、それらは単純に廃棄されます。

長く使われたものこそ、まだまだ長く使えるはずです。それを見つけるわけです。

新しくdを始めようとしている中国店のチームとは、今、リサイクルショップなどを回り、そうした意識で「救出」をしています。

一方、「旧物倉庫」(中国ではUSEDのことをそう呼ぶ)のような、「土地の歴史を表すもの」と位置づけて巨大倉庫にそれらを集めたカフェレストランなども現れています。まだ、集めただけで何もしていないのが残念ですが、古いものの中に、今、そして、これからを見るという意識は、中国でも起こっていました。

新品の生活品がまだまだ大量に企画、生産、販売される今。メーカーも同じようなものを生産し続けることへの疑問を感じ始めているはずです。だからこそ、「ずっと残る価値」についてもっと目を磨く必要がある。USEDを集めることは、そうした意味もあります。