70: どうやら沖縄市が好き

沖縄に来ています。どんなことがあっても(コロナに邪魔されましたが・・・)、何を言われようとも(大抵、「沖縄に行く」と言うと、リゾート気分で楽しそう、と、思われちゃいますが・・・) 約2ヶ月に1度。10日間くらいいます。そのためにアパートも借りて・・・。

昨日はプラザハウスの平良社長とあって、いろいろ沖縄のコロナ事情を聞きました。日本初のショッピングモールを経営して、こんな状況になり「テナントを誘致することが旧い考えのように思っている」と。場所を持つ人は、特技のある人に場所を提供して、その特技で家賃を払うとか、考えていました。

コロナ状態になったから、ということよりも、もう、一方通行な利益獲得って時代に合わない。そんなことをあんなに大きな施設を動かしながら考え、半ば実行しているのですから、東京のビルを持っている人たちも見習って欲しいです。いわゆる近江商人の商いのやり方「三方よし」と、平良社長も言葉として出されていました。

さて、沖縄に来ると大体行くところはいつも一緒。空港からレンタカーを借り、宗像堂で毎朝のパンを買い、サンエー(スーパー)で食材を3日分くらい買います。朝はオレンジジュースと牛乳と目玉焼きとハム、ソーセージとパンを自宅で。昼は適当。夜は知人と飲みに行くか、近所のゆしどうふやまで、ゆしどうふ定食(塩味)を食べる。飲みに行くのは、那覇か沖縄市。那覇はインタリュードがあるからで、そこ以外は近くの鳥料理屋しか行かない。と、考えていくと、それ以外は沖縄市で遊んでいることが多い。JETがあり、ローズヒルがあり、沖縄そば屋の焼きそばがあり、クラフトビール屋や、ソーセージ屋さんがある。コザは大好きで、米兵がうようよいたり、客引きの外人女子がいたり、外国気分で。そこでたくましく商売をしている日本人たちというか、沖縄の人たちが、どうも好きなんだと思います。

昨日は「オーシャン」というタコスが名物の店に連れて行ってもらいました。マスターの屋良靖さんがすでにグデングデンに酔っ払っていて、「もう、俺はタコスなんて作れない」と叫びながら、作ってくれました。周りの常連さんたちもグデングデンで、よくJETのママに「GET OUT!!」と追い出されるらしく、笑ってしまいました。

沖縄の人は複雑に生きていると思います。アメリカと戦争後も一緒に暮らしていることや、日本になる前の本来の自分たちも持ち合わせ、口伝えられ、観光客もうようよいたり、のんびりながら改革したいと言う都会からの移住者もうようよいる。屋良さんは、「とにかく人としゃべれ。しゃべれるようになるために、勉強しろ」と。そして、沖縄市の飲み屋に来ると、本当に喧嘩しているような会話を路上で大声でしている人が多い。「とにかくしゃべろ」というメッセージをもらって、昨日は自宅に戻り、しばらく考えました。その時に出ていた他の話で「お前はしゃべるな」と、若い頃はよく言われたと。「黙ってろ」ってことなんでしょうけれど、「話せる」って、ちょっと認められた感がある的な話でした。

僕らは日常、誰かと話します。これは屋良さんが言っていたことですが「本当にかみ合う会話ができるようになれ」という話。僕らの会話は、本当に相手とかみ合っていることがあるのかなぁと、考えました。少ない時間、タイミングで、こう話してきたそれに、どう答えるか。ただ、相手の言っていることを繰り返しているだけなのか、少しづつ、有意義な対話として一緒にある方向へ進めていける話を相手にしているのか・・・・・。「新聞と、雑誌しか読まない」という屋良さん。スマホはもちろん持っていない。電話もダイヤル式でした。取材はほとんど「断らない」主義で、政治の右左も関係なく受けては、その渦の中に身を置いて、考えて言葉を出す。しゃべるそうです。ちゃんとしゃべれない奴はダメだという話でした。ちゃんとしゃべるって、なんなのだろう。やっぱり、沖縄は面白い。