64:東京で場所を借りて何かをするということの意味とは

僕がデザイン会社を立ち上げた1997年、そして、d&dを3,000万の保証金を払い、今の奥沢に作ったのが2000年。その時代はマスメディアがとても元気で、広告業界もデザイン業界も、つまり、ものが精力的に作り出され、メディアを使って消費者に訴えれば、訴えただけ売れた時代。広告代理店やPR代理店はとても儲かったと思います。

その中心に東京があり、つまり、みんな「マスメディア」を中心に生活していました。それらによって自分の中に「憧れ」を持てたり、人生の目標のようなもの、野望を発見できたり、憧れの人と同じライフスタイルに憧れ、同じ家具や、車や服を買ったりしました。それは「自分」ではなく「自分を作りこむ」こと。そのステージが東京の渋谷、銀座、表参道、代官山などでした。だからみんな、高い家賃を払い、そこに場所を借り、スタッフが集まり、通勤圏内に地方から上京し、引っ越し暮らす。「憧れ」「有名になってブランドを構築する夢」「あんなブランドになりたいという野望」「お金を稼いで人が羨むような暮らしを実現させたい」「メディアに取材されたい」・・・・・・・・・・。東京に店を出し、暮らすということは、つまりそういうことなのだと、今、このウイルスによって改めて考え、気づきました。

東東京への憧れのマトは、シュロでした。宇南山さんの下町の手仕事との共存は、どこか近い将来の東京の姿としてみることができました。安い家賃で東京中心にも近く、物価や人との関係がちゃんとある、つまり「生活」に無理が少ないことから、じっくりと時間をかけて考えたり、人と会ったり、ものを作ったりできる。しかし、今年3月、その考えすら変えてしまうようなことがありました。宇南山さん自身がFBで発表したシュロの解散です。その後、本人とメールで話すようになりました。彼女から、いくつかの心を震わせるキーワードが出てきました。例えば「賃貸ってなんだろう」です。

いまSyuRoとして思っていること。(長文です)伝統は革新の連続であるといわれるように、小さな新しい価値を生み出すあり方をこの20年近く模索してました。そのために、店を作り、人を雇い、仕事をして、時間を提供して、目に見えない価値に街に...

宇南山 加子さんの投稿 2020年3月15日日曜日

2020年のいま、ウイルスによって全てが自粛を余儀なくされ、経済も生活も創造もストップした今、そして、この状況が提示した様々なこれからへの考え方。おそらく、ウイルスが収束しても、元には戻らない。その大きな鍵が「時間」であると思います。そして、2000年の頃と大きく時代は「そういえば」変わっていたと、気づいた。宇南山さんは、それを実行しようとしている。つまり、「東京で高い家賃を払って商売をしたり、暮らしたりすることは、もう昔のような意味がない」そして、浮き彫りになった、(ひと目気にせず)本当にやりたいことを考えた結果、払い続けても自分のものにならない物件を家賃として払い続けるのではなく、安く購入して、そこに定住し、そこでできる「自分らしいものづくり」を徹底的にやる。毎月の家賃や人件費などを気にせず、だからこそ生まれる本当の「自分の時間」と対話して暮らす。その選択を知ったときから、何かが音を立てて崩れていったわけです。

18歳からずっと東京に暮らす僕は、東京に憧れ、成功を目指し、東京の仕組みを借りてきました。しかし、それは「賃料」と同じく、借り物であり、今、このタイミングで宇南山さんの考えにも触れ、「ずっと住む場所ではないとわかっていながら、場所を借り続ける理由」がほぼ、ないことに気づきました。

これを読むd&dのスタッフは、引退したにも関わらず、経営などに口を挟む僕の被害(汗)に合った人も少なくないと思います。すでに経営トップは僕ではなく、何度か体制や場所(別事務所を借りたり)を分けたりして、現経営者に存分に新しいd&dをみんなと創造してもらいたい気持ちでいました。

しかし、今回の自粛の間に、状況は一変し、早々とこれからのことを考えていく中で、宇南山さんと同じく、原点に戻ろうと考えています。
これからもd&dが20年間積み上げてきた価値を未来に向かって活用したり、もっともっとみんなで社会に向かって何か活動していくために、これまでのことを十分に踏まえて、行動に移したいと思います。