48 民藝とd

8月1日、d富山にて民藝の勉強会をしました。ゲストは富山県南砺市の大福寺住職であり、日本民藝協会常任理事の太田浩史さん。偶然にもこの日は富山大空襲の日で、何もかも焼けて無くなってしまった日であり、それを機に日本で先駆けて民藝の動きが起こった日であることをみんなに冒頭の挨拶で伝えて頂きました。
そしてもうひとつ。長らくやってきた活動の未来について、太田さんは「ぜひ、dのようなひとたちとやっていきたい」とも言ってくださいました。これはビックリです。
僕が民藝を知ったのは、dを作ってしばらくたってからです。東京駒場にある日本民藝館に初めて行ったのも、かなり遅くからでした。しかし、一瞬で虜になりました。その活動は僕には「ロングライフデザイン」活動に見えたからです。
僕はdを立ち上げてから「専門的」「業界」に属したくないと常々思っていました。それはなぜかというと「そんなこと、一般生活者には関係ない」からです。そこを掘り進んでしまうと、「特別なもの」になってしまう。ある興味の深い人たちだけのものになってしまう。それが嫌だった。なので「展覧会」や「書籍化」など、民藝と同じく「運動」的なことはやっていますが、あくまで私たちdは「店」です。誰でもこれる。ふらっと来れるのが、実は重要に思っています。(とはいえ、意識の高い生活者のみなさんに来て欲しい気持ちは、やや不便な立地で表現しています。笑)
さて、太田さんが「dみたいなひとたちと一緒に・・・」と、言った意味を考えていました。そこには「民藝の未来」がありました。ぼくらdが・・・云々ということではなく、同じ方向を向いている「若いひとたち」をもっと民藝運動に取り込みたい。そうしないと、今のままだとかなり専門性の強い、そして、年齢層の高い集団になってしまう。もちろん、新会長に現役活躍中のデザイナーである深澤直人さんになってもらったのも、そこが大きな狙い。いま、民藝運動に必要なのは、未来へむけた若返りなのでした。
さて、僕は民藝運動は本部のある東京には向いていないように思いました。それはdの活動を地方でやるときの、やはり都心ではできないこと、考え方があるなぁと思ったからです。ということで、東京の民藝協会ではない、富山の太田さんがやっている「となみ民藝協会」に入会申し込みを出してきました。
さて、dと民藝はどういう関係なのか。僕は今の民藝運動は好きになれません。それも、とかくうちのdのメンバーは僕を前に出そうとします。それと似ています。これは「みんな」でやることで、若干のリーダーシップは必要ですが、「ヒエラルキー」も「特別感」も必要ない。もともと民藝運動も最初はそうだったと思いますが、今は僕にはそうした嫌な部分が入会もしていない立場なのに、見えます。しかし、「もの」や「こと」の普遍を見極め、生活に楽しく取り入れていく姿勢はとても勉強になり、長い民俗学的思考性も、その歴史は続けた方が「もの」を大切にする日本にとっていいと思うのです。
僕はdも民藝運動も、結局、おなじことをやっていると思っています。そして、もっと民藝協会も開いて、なんだったら民芸店のごとくカフェやショップをつくっていけばいいと思います。そして、それが「d」じゃないかと、きっと太田さんも感じた訳でしょう。これも書き進むととてつもなく長くなってしまいますので、また続きはいつか。笑