北陸ならではの発酵食「こんか漬け」

取材2日目は、能登半島の付け根の東側、石川県との県境氷見市へ。

北アルプスの山々に降り注ぐ雪は、雪解け水になり、やがて河川となり、富山湾に豊富に流れ出します。その流れとともに、栄養分や酸素を多く蓄え、湾を循環し海を育む。立山で地中に滲みこんだ雨水が何十年も経って富山湾の海底から湧き出しているとも言われ、氷見漁港の漁師さんは、

「富山の魚は、この真水が好きなんだ、飲みに集まってくるんだよ」

と、セリの立ち入り禁止場所に入った私を、大きな声で怒鳴りながらも、冗談まじりに教えてくれました。この日も変わらずのあいにくのお天気。海はシケ、魚の水揚げ量も少ない。

漁港から数分の所に柿太水産はあります。氷見浜で朝とれの魚を仕入れ、酸化防止剤や保存料など使用せず、全て手作り、昔ながらの作り方で丁寧に、煮干しや干物などの水産加工品を製造しています。到着した私たちを笑顔で迎えてくれたのは、柿谷政希子さんです。

初代のお名前が柿谷太助さん。周囲の方から「柿太」と呼ばれ親しまれていたため、そのまま屋号に。お店の奥が作業場となっており、人差し指よりもっとずっと小さい片口いわしの選別が行われていました。この量を全て手作業でか…と考えてるうちに、手先はまるで精密機械のように動き、あっと言う間に、大きさ別に、時々混じっている小魚などに分けられていきます。

食堂でも、片口いわし(いりこ)は、よく使われています。あれは、瀬戸内海のいわし、大きなお口と目でなかなか愛嬌のある顔つきしてる。日本海の片口いわしは、シュッとした顔、口は大きいが、キリッと一文字で切長。機敏な泳ぎと、固い密集隊形を思わせる。同じ魚種でも育った環境が違うと見た目も変わる、面白い。

氷見市は湾の西側に面していて氷見沖は、最も大陸棚発達しているため魚がとくに多く集まります。定置網には、地域ごとのやり方がありますが、ここ氷見発祥の「越中式定置網」は、魚が自由に出たり入ったりできるためストレスをかけない。最終的に捕獲するのは、網に入った3割だけをいただく。捕り尽くさない漁法。巻網や底引網のように、追いかけたほとんどの魚を水揚げしてしまっては、持続的な漁業はできない。あくまで私たちは、自然から頂いている立場。明日も明後日も海に出るのだから、全部じゃ無くていいんです。だから、海の中のバランスが崩れず、良質なイワシが育ちます。その美味しいイワシを餌としている大型な魚が特に旨い。11月から2月頃旬を迎える氷見の寒ブリは、全国的に有名です。

そうお話をしながら、テーブルに柿谷さんがウルメイワシや、手開きされたアジなどの干物を沢山の試食を準備してくださいました。丸干しは、じんわりと脂がのって、じわじわ旨味が溢れます。自家製のタレと煮干しを混ぜたものを出してくださったり、じなじなーっとしてきたら食べごろよと。

じなじな。。じなじな。。。って何ですかと思わず皆が質問してしまいました。しっとりとか、柔らかくなったらって言う感じかしら?この辺りの人は、皆言うんですよと、柿田さんは笑いながら教えてくれました。

「きときと」「じなじな」「なーん」「また、こられ」「ちょっこし」「ほんとやち」
言葉の端々に角がない。丸やかな富山。なんだか、羨ましい。

仕事場の奥から、大きな石を乗せた木樽を台車に乗せて柿田さんが運んできました。これが、こんか漬けです。

氷見漁港で競り落とした寒ブリを捌き、1週間から10日間塩漬けにする。その後、香ばしく乾煎りした地元産のコシヒカリの米糠を米こうじに合わせ、ブリにたっぷりと纏わせ、杉樽に隙間なくみっちりと並べて重しをし、ゆっくりと半年間寝かせる。

使われる杉樽は、老舗の味噌屋産から譲り受けたもので、樽自身にたっぷりと酵母が住み着いています。そこに、柿太家に長く住み着く菌がプラスされ、発酵が進むと高く積まれた石の重しを押し上げるほどチカラ強い旨味が溢れ出ます。

福井県では、へしこと呼ばれサバを使うのが一般的。富山は、マイワシやカタクチイワシ、ブリを使います。特に、こんかブリはハレの日のご馳走です。北陸の四季は、はっきりとしている。寒い冬に旨い魚を保存し、春から夏の間やってくる梅雨時期に一気に発酵が進み、魚の漁獲量が減る夏にちょうど食べごろを迎えます。

私たちも自然の一部、自然から取るだけ取って何もしないのではなく、頂戴してその流れに人が合わせ、ここで暮らす人の知恵で生かして行く。山と海、水と空気との共存。富山の人たちは、そこが上手なのかもしれません。わざわざそうしているのではなく、幼い頃から自然と教えられ身についていること。キトキトの魚は、そんな人たちが暮らす海にしか泳いでいないのかもしれません。