彩砂(るり)という工房名は師がつけてくれた。 ガラス=珪砂。「いろんな色のガラスでやりなさい」と。|吹きガラス工房 彩砂(読谷村)

ものづくりがしたくて向かったのは

東京から一番遠い「田舎」。

 

“琉球ガラス”と聞くと、いかにも古来からというイメージがもたらされるが、沖縄のガラスはやちむん(焼きもの)と比較しても歴史はそう長くない。

だがその始まりは特別だ。戦後、駐留米軍からオーダーを受け、米兵たちの暮らしから出るコーラやビールの廃瓶を材料に吹く再生ガラス。昭和27年創業の「奥原硝子製造所」で働いた後、独立し、琉球ガラスの第一人者と評される稲嶺盛吉さんが、小野田郁子さんの師にあたる。

「中学を卒業して、戦後何もない時代、独立して夜な夜なスナックとかお酒のあるところに持っていって手売りしていたみたいです」。

そんな師と、東京・新宿生まれの郁子さんがなぜ巡り会ったかといえば、東京育ちの憂いゆえであるという。親戚も皆、関東圏内。子どもの頃、夏休みの後に友だちが遊んできたというおじいちゃん、おばあちゃんの田舎にあこがれた。

20年前、ものづくりをしたくて向かったのは、東京から一番遠い「田舎」である沖縄。民芸店で見せてもらった稲嶺盛吉作品集に強く惹かれた。

だが巻末に掲載されていた稲嶺さんの顔写真が「めちゃくちゃ恐いんですよ(笑)。この人に怒られながらやるのかなぁって。でもこの世界はそういうもんだろうな、怒られながらやるんだろうなと思って。22歳の頃です。履歴書じゃなく手紙を書いて」、沖縄・読谷村(よみたんそん)にある「宙吹ガラス工房 虹」の門を叩いた。

再生ガラスの修行は体育会系だと郁子さんは続ける。長い時間やわらかい原料ガラスと違い、すぐ固くなるし、割れてしまう。だから工房ではいつも走っていた。常に怒られていた。「『いいえ』って言ったら辞めろ、です。『はい』しかない」「ぶーって吹いてわーってできると思っていたり、暑い環境がきつくて辞める人が多い」。

そんななか、いくつかの工房を移りながら修行する人はいても、郁子さんのようにひとつの工房に13年とどまったという人は多くない。だが話を聞いていると、当時から工場長を任されていた盛吉さんの息子・盛一郎さんがいて、師匠は二人いたようなものだ。

木と森に例えるなら、盛吉さんは、一本の「木」を見る人。一つひとつが違って美しい。盛一郎さんは、0.5mmの差も他とそろえる、「森」を見る人。

「どちらも大事なんです」。

こうして書き進めると、ただただ恐ろしいだけの修行時代に聞こえるかもしれないけれど、郁子さんは師のことを「じーじー」と呼べる、弟子のなかでも数少ない一人だ。師は郁子さんを「いーくー」と呼ぶ。じーじーといーくーの物語は、ガラスの形や色に還元されているのだろう。

まず「形」から考える

話を聞いた部屋の片隅に、淡いグリーン、ブラウン、ブルーのシンプルなグラスが並んでいた。「ザンクロ」といえば、沖縄の人なら泡盛を飲まない人でも「残波」という銘柄の黒ラベルのことだとわかる。そのザンクロの空き瓶と透明の空き瓶を混ぜて溶かしてつくられたのが、グリーンのグラスだ。ブラウンは、オリオンビール×透明。ブルーは、残波プレミアム×ザンクロ。沖縄育ちのカメラマンがつぶやいた。

「この色いいなって思う感じは、沖縄のものが使われている安心感なのかな」と。

でも、やちむんのようにお皿に絵を描けるわけでもない。だから、「形」から考えることが多いと郁子さんは言う。テレビの前にいる時も、CMやグルメ番組の、ガラスに限らず器のフォルムを見て、浮かんだアイデアをスケッチしている。ただ、「新作をつくってくださいとか、今日は新しいものをつくるぞっていってできた試しはないです」。

だからスケッチは描き溜めるだけ溜めておいて、手を動かす。

ガラスを吹く前に泥水に漬けるのは「宙吹ガラス工房 虹」で覚えた手法だが、缶に入れた土からサビが出て、ピンク色の模様がきれいな器ができた。

「こういうのをつくるつもりが、別のものが生まれるパターン」である。

独立して8年。驚くほど幅の広い器が、今、一人の女性の手から生まれている。

 

どういう人が使っているのか

想像している時が一番楽しい。

「最近変わってきたことは、器に入れるものはあまり考えないようにしていることです。逆に何に使っているのか教えてほしい。どういう人が使っているのか想像している時が一番楽しいですよ。おじいさんかもしれないし、小さな子かもしれない。『ほら、また倒したー!』とか毎日やってるのかな、とか。寸胴のほうが倒しやすいじゃないですか。でもその子がこれを倒せないで飲めるようになったとかね、そういう風景もあるのかな。ポジティブな考えなんですけど(笑)。あとはあんまり何でも便利という方に寄せていかなくてもいいんじゃないかと思って。これ、注ぎにくいんだよね、でも使っちゃうんだよねというのがあると思うんです」。

ガラスの器づくりは毎日が窯焚き、窯出しだ。火を見ることは「飽きないです。ずーっと見てる」。ちゃんと火が回る時、火は螺旋に見えるという。

「いいぞ、いいぞ」と傍らに立つ、郁子さんがいる。

吹きガラス工房 彩砂

小野田郁子さん、東京都出身。「宙吹ガラス工房 虹」の稲嶺盛吉氏に13年間師事。2009年に、沖縄県読谷村に「吹きガラス工房 彩砂」を設立。沖縄の泡盛やビールなどの廃ビンを再利用してつくるグラスやお皿は、シンプルでかつ女性的なフォルムも感じさせる。