暦と暮らす呉西の食「報恩講料理」

富山県のほぼ真ん中に位置する呉羽山を中心として東西が分かれ、山の西側を呉西(ごせい)東側を呉東(ごとう)と呼ばれています。

取材は呉西から、小矢部市、砺波市、南砺市と移動してきたが、連なる山々、大きく流れる河川、どこまでも続く水田と散居村。その風景全てを水が繋ぐ扇状地、自然と共にある暮らし。

富山1日目の最後は、南砺市井波。日が落ちあちこちの家々から、明かりが燈り始めます。よく見ると、木造の町家が並んでいて、ガラス戸の向こうにはノミやカンナ。木彫刻や彫刻刀の文字が並ぶ八日町通り。通りの先には、瑞泉寺があり井波彫刻発祥の寺と言われています。日本一の木彫りの町。現在では、200人ほどの木彫刻師が伝統を受け継ぎ作品を作り続けているそうです。

今夜は井波に宿泊。夕食には、地元の食材や郷料理にとても詳しく、ご自身でもgonmaと言うお店を営まれている、中川裕子さんに特別にお願いをしてこの土地ならではの食事を用意していただきました。

「ハレの日の赤御膳」今夜の夕食のタイトルです。とメニューをいただき案内されると、朱塗りの高足膳にツヤツヤな朱塗りの蓋椀が並び、まさにハレの日のご馳走。毎年旧暦の11月28日前後に浄土真宗開祖、親鸞聖人の命日「報恩講」。親類縁者を招き、念仏を唱え僧の説教に耳を傾ける。その後、集まった人々をもてなすために用意するのが報恩講料理。そう言えば、お昼に伺った境さんに教えてもらったのも。

雪解けの山々に芽吹く、ワラビやゼンマイなどの山菜は、選別し良いものだけを取り分ける。豆や芋、野菜や米は、その年に収穫した一番出来の良いものを大切に取っておく。そのとっておきの食材を丹精込めて料理し朱塗りの膳に並べてお出しする。

富山の海のない地域で多く作られる、この土地での暮らしに当たり前に続いてきた、一年をかけて準備する特別な日と特別な料理。

私たちは、訪問前にこの土地で、長く大切にされてきた料理を教えてくださいと皆様にお願いをして定食取材に出ます。昼と晩の食事で出会った呉西の食。「ほんこさま」のために、食材を大切にとっておく習慣。

なんだかじんわりと暖かい。きっとわざわざそうしているわけでは無く、山の色、風の匂いや空の色、田畑の実りと虫の声に、自然と家族の支度を整えていく。

暦との暮らしがそこにあると私は思いました。そうでありたいといつも感じてはいても、忙しい時間に追われつい忘れてしまいがちな事。旅の始まりは、いつも私たちにそうやって大切な事を思い出させてくれるのです。