水田広がる砺波の「散居村と伝承料理」

車は、小矢部川を越え、砺波市へ。

芒種もとうに過ぎ、青々とした稲が成長し綺麗な水田がどこまでも続いています。その先に顔を上げると山々の尾根が雨空に薄っすらと浮かびあがり、晴ればかりを望まなくても、富山らしさはちゃんとそこにあり、どこを切り取っても美しい。

運転中、屋敷林に囲まれた大きくて立派な家がポツリポツリと点在している姿が多く見えてきます。四方を田畑で囲まれ皆玄関が東向き。外から見た様子だと、きっと天井は吹き抜け。立派な切妻造りの屋根。白壁には、妻梁が格子状に重なり屋根を支えている。「散居村?」同乗していた富山店のスタッフが「富山らしい風景ですよ、散居村は。家を囲む木々は、屋敷林(カイニョ)って呼ばれてます。」と。

それぞれの農家が家の周りの土地を開拓して米作りを行ってきた、自分の農地に囲まれた暮らし。取材時は、青々とした稲が田んぼの水面に写り、雨粒を蓄え風に揺れていました。

時刻は、間もなく12時。お昼ごはんは、砺波市の農家レストラン大門。

明治30年建築の立派な母屋は、先程の景色に写っていた屋敷林(カイニョ)に囲まれた、立派なアズマダチ。中に入ると、太いケヤキの柱と梁とが、どっしりと組まれたワクノウチ造り。明治30年建築の堂々とした家屋。お庭からの涼しい風が、部屋中を循環するように流れ心地よい。

奥から、私達を迎えてくれたのは、女将さんの境嘉代子さんです。砺波市で郷土料理を広める活動をされています。

「これから、この地方で古くから伝わるお料理をお持ちしますね」と待っていると、朱塗り椀がいくつも並ぶ膳が運ばれてきました。

浄土真宗では、親鸞聖人の命日にその恩に報いる営む仏事「報恩講」が11月頃に各地で行われます。報恩講や年忌行事のお斉(おとき=精進料理)にここ砺波地方で欠かせない根菜と小豆の煮物「いとこ煮」。小豆は、親鸞聖人の好物、椎茸は笠、ごぼうは杖、油揚げは袈裟、寒夜に枕にして休んだ路傍の石を山芋、と具材それぞれに意味があり、硬いものから順に追い追いと煮るので、甥々と掛け、いとこ煮と呼ばれます。

中央の見た目華やかな「ゆべす」。金沢市の方では、琥珀色から「べっこう」と呼ばれていますが、寒天に溶き卵、しょうがを入れ醤油と砂糖で味付け私固めたもの。春祭りやなどの行事食で代表的なお料理ですと境さんのお話は続きます。

やはり、精進料理だけあってお肉は、膳には並ばないよなと思いながら蓋物をパカっとあけてみると、お椀いっぱいの、まるい油揚げ?ん?これは、がんも?しかし大きい。

がんもどきのことを、庄川の上流、中流域では、「まるやま」と呼び肉料理の代わりとして作られたものです。がんも=肉感か、、、と思いながら箸で揚げを割ってみると、中から出てくる出てくる。椎茸、筍、人参、山菜、銀杏、根菜が。そして、たっぷり出汁も含んだ、ぶくぶく感。見た目地味なのにボリューミー。肉ポジション「まるやま」。

そして、このお店や土地の名前にもなっている、大門素麺。160年以上も前から作られ、丸まげ状の形と長さが珍しい。もともとは、農閑期の冬季副業として素麺作りが始まり、10月から3月に約10日前後かけて、鉢伏山から吹き下ろす寒風にさらして仕上げられる。

椎茸出汁に、玉ねぎを加えて甘味をだすのが私の味と境さん。ほんのり甘いつゆに、すり下ろした生姜が良く合うこと。ぐるぐる蒲鉾がなんだか可愛らしい。ん?ぐるぐる?なるとじゃない、渦巻きかまぼこ。

そして、最後に境さんが特別に出してくれた小さな小鉢「ほうきんのよごし」。

法事に必ず出すものだそうですが、今日は皆さんが来てくださるから、2日前から準備しましたと女将さん。ありがたいです。

よごしの定義は無く、その家庭ごと作られるとは聞いていたが、大根葉や人参、小松菜など、旬の野菜や自宅で収穫した野菜を茹でて細かく切り、味噌で味付けして炒り付けたもの。謂れは様々ありますが、白いごはんを汚すからなどと言われています。ごはんの上にこんもりと乗せるのが、定番の食べ方だそう。食べてみると、プチプチ食感。胡麻が香り、ほんのり甘い。

しかし、ほうきんの実とは馴染みがない。見た目、黒いツブツブ以外わからない。箒木の実、名前の通り箒の材料となる一年草。畑のキャビアとも呼ばれています。アクを出すため、なんども水を変えたり、絞りの加減で食感が落ちたりと、手間がかかる。日々の忙しい中で、私達が訪れるからと、わざわざ用意してくださった境さんの気持ちが、その土地の食べ続けて欲しい味との出会いになりました。