首里織の織り手3人が首里織の枠から飛び出し、続けている展示会がある。“手織りのハンカチ”にこめられた思いを、3人に聞いた。

那覇市(首里織)
NAHA CITY
上間ゆかり 金良勝代 新垣斉子

「手織りの布といえば、帯、着尺やショールなど、装いの布として珍重されている印象があるが、日々、道具のように使うハンカチを、あえて手織りで作る。美しい布を贈ったり、使ったりすることは、心を豊かにする。男性女性、年齢、国籍に関係なく使えるハンカチは、どこに持って行っても通用するのではないか」という発想から始まった、手織りのハンカチ展。
 6年前から展示会を続けている首里織の織り手3人に話を聞いて感じた。手織りのハンカチの存在意義などという前に、効率の時代と逆行するような手間をかける仕事を、心の底から楽しんでいるからこそ、その一瞬一瞬が、一枚の布を手にする人の、エネルギーになっているのだろう……と。

ーー織り歴30年という金良さんを筆頭に、作り手として長い経験を積んでこられた3人ですが、織りの世界に入った経緯を聞かせてください。また多様にある沖縄の織物のなかで首里織を選んだのはどうしてですか?

金良勝代:20歳くらいの時に沖縄に芸大ができると聞いて、ペントハウスに入ったのですが、芸大は不合格。勉先生が心配して「何をやりたいんだ?」と。沖縄の伝統工芸に興味はあるかと聞かれて、その当時の私は生意気にも、沖縄の伝統工芸に魅力を感じていなかったし、興味ももてないと言ったんですよ。その時先生に「知りもしないで」と視野の狭さを注意され、目が覚めたというか。「妻は織りをしてるんだけど、一度見においで」と言われ、民子さんが昔織ったというを見せていただくと、想像していたものと全く違っていたんです!それから首里織の後継者育成事業の講習を受けた後、首里にある工房に入ることになったんです。

上間ゆかり:私も偶然なんです。東京の印刷関連会社で仕事をしていたのですが、一度沖縄を離れたことで、改めて沖縄っていいな、戻った時に沖縄でしかできない仕事がしたいなと思ったんです。最初は好きだった焼物で探していたんですが、土をこねるだけで10年と言われて、年齢的に厳しいかな……と断念。次に紅型。どこで勉強できるかと考えていた時に、姉が新聞で首里織の後継者育成事業の記事を見つけて「同じ伝統工芸だから行ってみたら?」と。面接に行った時に先輩が機を織っていて、その「シャートントン」という音から織りの世界に入っていきました。なんて楽しい仕事!と今に至っています。

新垣斉子:以前遊びに行っていたギャラリーで、織りに興味があると話をしたら、上間ゆかりさんを紹介していただいたんです。私は住まいがなんですね。南風原は琉球絣で有名ですが、絣を織っている地域は町内3つの地区だけ。近親者に絣に携わっている人はいませんでした。改めて知っていくと琉球絣は分業化でされているのですが、首里織は一人で全工程をやるというのに魅力を感じました。

ーー沖縄にはそれぞれの土地に根付く織文化が継承されていますが、お三方が考える首里織の特徴とは何でしょう?

新垣:意外と知られていないんですよね、首里織という名称。産地の織物で言えば知名度は低いかも。若い作り手もいっぱいていいねとか、協力体制がとれていていいねと、他の産地さんからは言われますが、一般の人は首里織って何かぴんとこないという方が多いですね。端的に説明ができないことも特徴かも(笑)。話せば話すほどこんがらがることも多いです。

上間:「首里織」というのは、芭蕉布や琉球絣、読谷山花織、知花花織……のように技法名ではないので、どういう織物なのかがわかりづらいかもしれませんね。いわゆる単独の技法ではなく、総称した名称なので。首里織として伝統的工芸品に指定されているのは「首里花倉織」「首里花織」「首里道屯織」「首里絣」「首里ミンサー」という5つの技法です。扱う素材や織りの技術、色、柄、デザインなど、多種多彩です。ひとつの産地で、泥染めを除く、織りのほとんどの技法を使えるというのは強みだなと思います。

ーー6年前から皆さんが取り組まれている手織りのハンカチとは、どのようなものですか?

新垣:素材は綿や麻、染料は沖縄の植物「フクギ」や「イタジイ」などです。ハンカチは装いの布ではなく使う布なので、手になるべく引っかかりがないよう、帯や着尺を織る時に伝統工芸品として必要とされる技法ではなく、平織りという基本的な織りです。着尺の残りの布で作っていると思っている方もいて、ハンカチの為だけに糸を染色して織っていると話すと、びっくりする方もいます。量産も大切なことですが、こういうモノも存在してほしい…との思いで織っています。

上間:今までハンカチを織ったことがなかっただけに、始める前はぴんとこなかったのが正直な気持ちです。普段は絹糸しか扱っていないので、木綿や麻の細い糸を使って、どういうハンカチができるのか、最初は手探りでした。でも作ってみたら楽しくて、あれも織りたい、これも織りたいと、高揚しました。

金良:1年目はハンカチという形にこだわってしまって。?家にあるハンカチを、どんなサイズがあるんだろう、どんな柄が入ってるんだろうと見たりして、ちょっと固まっていた感じがあるのですが、どんどん自由になってきてるのかな。

ーー普段の着尺の仕事ではできないけれど、手織りのハンカチで表現できることはあるのですか? そして、次の展示会では?

新垣:このハンカチは首里織ではない一枚の布として織っているんです。

金良:帯や着尺だと規定のサイズがあって、その中に技法を取り入れないと「首里織」として認定されないのですが、D&DEPARTMENT OKINAWAと一緒に作っているハンカチはそういう規制がなく自由に動けるので、すごく楽しいですね。

上間:伝統工芸品に求められるような技法を取り入れないので、紋様が入らない分、色でデザインします。普段携わっている織りとは違う楽しさがあります。平織りというのは、織りの基本の技法。だけの世界で、どんな織りの産地でも、平織りが基本にあるんですね。基本の織りだけで表現する布の力強さが一枚一枚にこめられていると思います。去年は展示会がお休みだったので、その思いを今年は!
(聞き手:黒川祐子/アイデアにんべん)

上間ゆかり
1963年那覇市生まれ。1991年から約2年間、那覇伝統織物事業協同組合の後継者育成講習を受講。1999年~2005年、ギャラリーの企画によるグループ展や個展を開催。2011年12月、個展開催。2008~2014年、沖縄県工芸技術支援センター、首里織組合の後継者育成講師を務め、現在は制作に専念している。

金良勝代
1988年那覇伝統織物組合後継者育成修了後、同年5月より2004年4月まで宮平織物工房に在籍。その傍ら1991年~1993年大塚テキスタイルデザイン専門学校で学ぶ。2004年4月より作品制作に入る。2010年4月、首里織物組合員となる。長く愛される布を提案出来たらと日々感じながら制作に努めている。

新垣斉子
1970年生まれ。1999年に那覇伝統織物事業協同組合の後継者育成事業・初級技術研修を受講。2000年より伝統的工芸品首里織を始める。沖縄の植物染料を中心に糸を染め、織りをしている。ここ近年は、帯・着尺を主に制作。現在は、沖縄県工芸振興センターの織物技術指導講師として、後進の育成にも携わっている。