d SCHOOL「わかりやすい首里城」開催レポート

沖縄の歴史を知るうえで、欠かせない場所「首里城」。私たちD&DEPARTMENT OKINAWAは、今回のツアーを含め、「首里城」を舞台に琉球史をわかりやすく伝える賀数仁然(かかずひとさ)さんの案内で3回のツアーを実施しています。

第1回目は、2017年7月に「d TOUR 首里城 - 450年続いた碧い国琉球の秘密-」、第2回目は、2019年10月20日に「瑞泉酒造のもののまわり」として、首里で泡盛を作り続けてきた「瑞泉酒造」と、良質な泡盛づくりを支えてきた琉球王府との関係性を知るため「首里城」へ訪れました。

この2回目の首里城を巡った11日後の10月31日に、首里城正殿が火災によりほぼ消失してしまうという悲しい出来事が起きたのです。2019年1月に、30年にも及ぶ復元が完了したばかりの焼失は、あまりにも大きな痛手。私たちも、10月の首里城巡りが最後のツアーになってしまった……と、思っていた矢先、「今だからこそ巡れる首里城ツアーってないですか?」
というナガオカさんのメッセージから、3度目のツアーの企画がスタートし、2019年12月21日(土)に、d SCHOOL「わかりやすい首里城」の実施となりました。

北海道、東京、神奈川、大阪、名古屋、高知、山口、韓国、そして地元・沖縄からの参加者は定員を超える大盛況。多くの方が、首里城なき首里城ツアーで、沖縄のアイデンティティに触れる旅に関心を持ってくださっていると、心温まる思いを抱きました。

まずは首里城のエリアの説明から始まり、首里城の玄関口・守礼門(しゅれいもん)へと進みます。琉球王国は小さな国でしたが、アジア諸国と対等に渡り合ってきたされています。その秘訣は外交力。中国と親しい関係にあった琉球王国は、国王が亡くなり新たな国王へと世代交代をすると、冊封使と呼ばれる400人~500人の使者を中国から迎えることになります。
その最初のお出迎えが、この守礼門。冊封使を迎える際は、扁額を「守禮之邦」と変え、自分たちが礼節を重んじ、儒教を知っている国であることをアピールしたと言います。

一方、ペリーが来訪した際は、のらりくらりと担当の役人を変え、相手が痺れを切らすまでやり過ごすという立ち回りよう。扁額も「守禮之邦」ではなく「中山府」と変えていたようです。
敵に対しては、決して真っ向から対抗心を向けず、やり過ごす琉球王国の外交……。どこか今につながる、沖縄らしさを感じます。

守礼門をくぐり左手に見えてくるのが「園比屋武御嶽」(そのひゃんうたき)。一見して門構えだけがあるように見えますが、ここだけで世界遺産に登録されている御嶽(うたき)です。
御嶽(うたき)というのは、琉球の信仰において祭祀などをおこなう場所のこと。とはいえ、ご神体も社殿もありません。

琉球では、神様はニライカナイという世界にいて、ノロ(祝女)と呼ばれる女性の祭司が、ニライカナイから神様を降ろしてきます。その場所が御嶽。その憑代となるのが、巨木や岩石、クバなどが豊富な自然の森。

ノロは女性しか就くことができないのが、琉球信仰のしきたり。ノロの中でも最高の地位にいたのは「聞得大君(きこえおおきみ)」と言い、国王と並ぶ地位を持っていたといいます。沖縄では女性が強い……と言われていますが、この時代から受け継がれてきたものなのかもしれません。

ツアーはいよいよ正殿手前へとさしかかります。
ちょうどこのツアーが開始される数日前に、首里城の見学できるエリアが広がり、私たちは焼失した姿がはっきり見えるところまで足を運ぶことができました。

そして見えてきた悲しい姿。参加者みな、この光景を前に息を飲み、声にならない思いを抱きました。賀数さんはここで、復興にむけた希望の言葉を参加者に投げかけます。

「これまでも首里城は、争い事などの理由で4度の火災に見舞われてきました。その度に立ち上がり続け、再建してきたのが首里城です。財源はもちろんのこと、資材や職人の確保が難しいとされる復興への道筋ですが、今回もきっとなんとかなります」と。

沖縄全体が今回の消失を心から悲しんでいると同時に、復興にむけた前向きなベクトルに変えようとする力が生まれているのを感じます。

ここは、首里城正殿から手前にある鬱蒼と木々が茂るエリア。決して意味のない場所ではありません。神々が降りてくる神聖なエリアです。

西(イリ)のアザナ(物見台)からは、那覇市を一望。晴れの日は慶良間諸島まで見渡せる場所です。琉球王国時代は、ここから鐘を鳴らし時刻を知らせていました。

首里城は「風水」に基づき、城域全体が設計されています。太陽が昇る東を背に、両端には東から西へ向けて川が流れ、ふたつの川は城下の西側で合流します。南北は大きな山々に囲まれ、西の先には慶良間諸島。太陽が出る東から生まれた気のエネルギーは、分散することなく東から西へと流れまっすぐ進み、慶良間諸島へぶつかり跳ね返って首里城へと戻る。450年も続いた琉球王国の繁栄は、もしかしたらこの最高の気のパワーに所以するのかもしれません。

ツアーはこのあと首里城周辺を巡り、第一部は終了。第二部は、築60年以上の古民家を利用した沖縄料理店にて、懇親会が開かれました。


懇親会では、教科書には載っていない沖縄の歴史・文化について、参加者から寄せられた質問に答えてもらう「教えて賀数さん」コーナーを開催。
沖縄の食文化、首里城の見どころ、沖縄愛はどこからくるのか?…などなど、さまざまな質問に答えていただく楽しい宴となりました。


D&DEPARTMENT OKINAWAでは、今後も賀数さんのガイドで、沖縄のさまざまな場所を訪れ、琉球の歴史にふれるツアーを企画していきます。何度参加しても新たな発見をくれる賀数さんのツアー、ぜひみなさまも次の機会にご参加ください。