27 決めずに進める

昨年の真ん中あたりから「d news」 という名前でホテルと新雑誌のプロジェクトをスタートしました。この立ち上げで考えたことは「何も考えない」こと。まるで出来るかのような自信に満ち溢れた架空の状態のまま、とにかく進めていく。すると、みんなの想像の世界、頭の中にd newsは出来始め、みんなが「一体、本当はどんななのか」を気にしだした時、建築家の長坂常さんに依頼。依頼する時も「僕もよくわからない」ということと「わからないまま、進んでいきたい」ということを告げ、承諾を頂き、ほぼ、毎日、メールにて「こんな感じじゃないか」「こう言う可能性もあるのではないか」と、対話していきました。雑誌に至ってはいつまでたっても台割も、企画書も作らない。作らないまま、構想だけを語ってクラウドファンドで資金を募る。募りながら説明を求められるけれど、逆にどんな風だったらいいかと逆質問。企画書としてはっきりしてきたのは、今週のことです。僕はこれは無責任な進行方法ではなく、今という時代ならではの方法と思っています。その理由は簡単に言うと昔より「参加」という意識やハードル、未完成な構想についてコミットできる環境などが整ってきたからで、そこで僕がすべきことは「立ち上げる」「スタートを切る」ということ。内容はスタートした後でもいいし、そういうことが新しい発想のものを生む可能性があると感じています。本当に何も決まっていない状態、しかし、進めていく。もちろん、演劇や音楽の世界では珍しいスタイルではないことはわかっていますが、もしかしたら「何も決めずに、でも、進めていく力」というのが、どんどん、求められる時代なのかもしれないな、と、感じます。結婚する人が減っていたり、恋愛が自由度を増しているのも、究極の人間関係的なセッション感なのかもしれません。結果や計画よりも「経過」。モノを売る私たちショップにおいても「売り切り」ではなく「売るまで、そして、売った後」のすべてを買ってもらうという時代に突入してきます。モノは生活の「経過」という時間の共有へのキップ。人々の買い物も、どんどんぼやけてわかりづらいものになっていくでしょうね。「買った」けれど「買ってない」。「売った」けれど「売ってない」。そんな店が増えて行く予感です。