106:考え・普通の会社じゃないところに努める

自分の会社を見ていて思う。「普通の大企業って、働きやすいだろうなぁ」と。もちろん「働きやすい」と「働き甲斐がある」は違う。僕が言っている「働きやすい」とは「余分なことを考えたり、心配することかない」ということです。うちの会社は働き方がさまよっている。日々、現社長によって改良され続けていることは間違いないけれど、創業22年経った今も、ああでもない、こうでもないをやっている。

大企業は、その人に合った部署で、力を発揮してもらうような感じになっている。それに対して、うちは、そのひとのやる気や、今はできないけれど、将来はできるようになりたい、なんてそのひとの夢も考慮する。すると、会社としてその人をある意味、指導しながらも、コントロールが難しくなっていく。大企業はなんだかんだ言って「冒険させる」とは見えても、そうなっていないことが多い。やはり、問題が起こらないよう、そのひとのスキルを最大限に生かすよう持っていく。例えば、不意に残業が起こったり、休日出勤してもらわないとならなくなったりとか、まぁ、大企業にもあるとは思えども、「明日はどうなるのかなぁ」なんて不安のような不確定なことが、とにかくうちの会社には多い。何が言いたいかと言うと、「そういうことを受け入れ、楽しめるか」と言うことがあるなぁ、就職って、と、思ったのでした。最初は「憧れの会社(ほぼ、イメージ)」に就職することになったとしても、働いてみると、前の、その前の会社と、いつの間にか「労働」として比較し始めて、それを思い始める。仕事は分業で、憧れのかだったのに、その会社が見えてこないくらい末端の作業をさせられていたりするとき、「違うなぁ」と、思いまたしても転職を考え始める・・・・・。

会社は大体、どこも一緒だと思います。だからこそ「自分側の労働についてのビジョン」かないと、常に職場のせいにしてしまいがちになる。それはそう簡単には改革できないわけで、乱暴に大雑把に言うならば、「働き方が不安定な小さな会社」か「大企業的な会社」かを「自分」はどう選ぶか、なんじゃないかと思う。

今、ぼくは阿久比で、坂田さんと二人で店をしていて、坂田さんにとって「会社」とは「僕」であり、それを受け入れてくれたから、なんか新しい(不安定だが)働き方が毎日、芽吹いては枯れ、芽吹いては実をつけたりする。働くって、面白いなぁと、57歳になってようやく思うのでした。