101:考え・d design travel展

東京東神田のデザイン事務所では、先週から「d design travel展」を小さく開催しています。普段、会員の方々にだけ開いている店のようなカフェのような場所を、広く一般公開しています。そこでは編集方針や初期のプロトタイプなどを展示していて、14の編集の考え方の言葉を展示しながら、300文字くらいの解説を、おそらく初めて文字にして書きました。事務所の番頭、高橋は「これ、各店に巡回して読んで欲しい」と。社内の人間にこういうこと言われると、本当に嬉しいのでした。と、いうことで、特別にご披露します!! 今回から3週に分けてご披露します。

1
必ず自費でまず利用すること。

通常の雑誌は「媒体資料」をみてもらいながら取材申し込みをします。私たちd design travelは、編集長が一般客同様、普通に利用し、気に入ったら何度も通い、皆さんがやるような店内写真を撮り、お客として店主としゃべったりして、情報を収集します。そして「その県らしい店かどうか」を検証し、決定して初めて「取材申し込み」をします。その時点では、ページレイアウトはほぼ、出来ています。取材OKを頂いたら、改めて取材、撮影をします。先に取材申し込みをしてしまうと、いつもよりきれいに掃除されたり、料理の盛り付けも特別に整えられたりしてしまうので、私たちは「いつもの様子」を評価するようにしています。つまり、何度も自費で通わないとわからない微妙な魅力、素の居心地の本当を取材して掲載していきます。

2
感動しないものは取り上げないこと。

初代編集長であり、この本を考え現在は発行人である僕、ナガオカケンメイは、小中高と国語は1。とにかく作文が全くダメな子供でした。しかし、大人になり、そんな学力のない人間でも「感動」したことを人に伝える時は、いつもとは違うエネルギーが湧くことに気づいていました。恋をした人に、どうしても気持ちを伝えたいと頑張る普段は引っ込み事案の人のような。なので取材候補をそっと訪ね、何の情報もなるべく得ない状態でその場に自ら立ち、武者震いするほどに感動しなければ、候補に選ばないと決めています。つまり、感動しなければ「情報」はかけても「自分の感動」は文字にできないはずで、これは代々、編集長に受け継いてもらっています。その気持ちはレイアウトするデザイナーや校正する校閲さんにも伝わります。

3
本音で自分の言葉で書くこと。

世の中には便利な「言葉」「言葉の組み合わせ」がたくさんあります。こう言ってはプロの方々に怒られるかもしれませんが、この本の取材をプロのライターさんに頼むと、ほぼ、私たち編集部が良いと思える原稿はあがってきません。理由は簡単です。「プロ」とは、どんな状況(例えば精神的に落ち込んだりしている時も)であっても決められた日時に決められたクオリティで決められた文字数の原稿を仕上げる人たち。私たち編集部はそれは残念で致命的なのですが出来ない代わりに「便利な既製品のような言葉」を極力使わないと決めています。例えば感動したことを「・・・・に感動した」とは書きませんし、まして「気持ちの良い時間が流れていた」なんて表現は絶対に使いません。自分の感動は、自分の表現を見つけて書く。結局、

4
問題があっても指摘しながら薦めること。

大きなお世話なのかもしれませんが、私たち編集部には「日本全体」「よそ者」「その土地らしいことの重要性」を常に、というか、半ば病的に(笑)常に頭の中にずっと思考し続けています。なのでその土地に住み、日々を営んでいる人たちには見えない、忘れてしまったことが瞬間にわかります。「どうしてここまで素晴らしいのに、ここをこうしてしまうのか・・・」たまにそれを伝えたりもしますが、基本は大きなお世話。とにかく素晴らしいポイントを見つけた私たちは、そこを徹底的に伝えようと原稿に、写真にします。それと同時に、その残念なポイントもリアリティの一つなので、そこもちゃんと書きます。大抵の場所も人も「良い」ことばかりではありません。残念なところも書くことで、その感動のリアリティを伝えたいと考えています。

5
取材相手の原稿チェックは事実確認にとどめること。

たまに選んだ店からお金をもらうのですか?と、質問されます。もちろんそんなことはしません。その代わり、私たちは自分たちの目線や感動を自分たちの言葉で書きます。その原稿は先方のチェックを通過して出版するわけですが、広報がある会社からは、時に細かく表現のチェックの赤字が入ります。私たちは事実と異なる年代の表記や名前の間違いなど以外は一切修正しません。なぜなら、私たちはその店の「広報誌」を作っているわけではないからです。仮に先方の訂正を全て受け入れてできた原稿とはどんなでしょう。それは私たちが関わる必要のない、先方に都合のいいだけの原稿とも言えます。そんな原稿、読んでいても面白くないはずです。指定の写真を使うように指示されても、私たちは自分たちが見て撮影したものしか使いません。