94: ブランドのデコボコ.2

僕の感覚というか、仮説では、ブランドとはこれから話す10個のことを常に行わないとそうならない。その一つ一つを紹介している2話目。前回は

●「創業者(創業時)の想いを毎日、伝え共有する」でした。毎朝、朝礼で声に出す会社もいるでしょうし、どこか事務所の入り口に「社是」のように額に入れて飾って常に目に留まるよう、工夫をしている会社もあるでしょう。例えば店で働くとしても、その一つ一つの根元は、そこに(創業者(創業時)の想い)から生えていったものなので、その根っこのそれがわからないと、なんとなく接客したり、なんとなく働くことになる。大いなる時間の無駄、というか、もったいないのです。それはちょっとしたこと、例えば、うち(D&DEPARTMENT)で例えると、展示している家具が散らかって展示されている。これを「まずい」と思ってすぐに直さなければ、と、思えるか、思えないかなど、一つ一つのそうした細かなことを「やるか、やらないか」にかかっています。つまり「やる意味」を知らない、もしくは、気づかない、気づけない、わからない、重要だとも思えない、想像もつかない・・・・と、なると、ブランドは作れません。例えば、うちでは「商品の上に商品を置くときは、必ずクッション材を挟み、商品に傷がつかないようにする」ということを徹底しています。これはもちろん「ものを大切に扱いたい」という思いからですが、これがなかなか徹底できません。なぜ、できないか。それは現場の人の意識の問題でもあり、その人に創業時の想いが伝わっていないからです。逆にそうしたことを徹底してできた店の様子、風景にお客さんが触れたとき、その様子から、そのクッション材の一つひとつから、創業時に思っていたことが伝わっていきます。これはゴミを拾うとか、こまめにトイレを掃除するとか、あらゆることにつながっています。そして、つながって見えなかった場合、それらあらゆることは、単なる掃除、作業としてしか見えなくなり、そこには「やらなくてもたぶん、大丈夫」「これくらいなら平気」「めんどくさい」「誰かがやる」みたいなことで、その店の印象は廃れていき、結果として、お客さんの評価が得られず、収入が減り、働く人を雇えなくなった経営者は一生懸命やってくれていない社員やバイトの肩を叩くでしょう。
さて、前置きが大変長くなりましたが、2つ目を紹介します。

●イメージを定期的に発信する。です。

あなたが「ブランド」だと(普通に)感じるメーカーを思い出してください。彼らは媒体の出向量や、媒体の有名無名に関わらず、彼らなりに「定期的」に「イメージ」を発信しています。その「安定」した感じが、とても重要なのです。小冊子を自分たちで作り、配布するでも、全国誌に年4回だけれど、広告を掲載するでもいいのです。「定期的」に「自分たちのこと(メッセージ)」をちゃんと発信すること、その意識が、ブランドになることを後押しします。もちろん、媒体を使わず、SNSで発信とかでもいいと思います。そして、その大小ではなく、やはり「定期的に発信」ということろに僕は特に意義があると思います。
これで2つです。残り8個ありますが、仮にどうですか、前回、今回挙げた2つだけでも、できているでしょうか。つづく

関わっている誰もが「カリモク60」を知らない人なんていないと、思うけれど、そうではない。あのバルセロナチェアだって、イームズだって、Yチェアだって、ウォークマンだって知らない人が増えていく。そう、人類は次々と赤ん坊として生まれてくる。今の芸術系デザイン系大学生だって「横尾忠則」とか「永井一正」を知らない。この間、東大の建築の学生が「菊竹清訓」や「丹下健三」を知らなかったのにはびっくりしたけど・・・・。定番こそ、広告は必要。このSNS時代に郵便でDMを送ってくる企業は、ある意味、ブランドとして正解だと思う。