86:  時間と想い

愛知県にdを作ることを考えたり、沖縄に早く行きたいと思ったり(12/3から沖縄・年間2ヶ月ほど、沖縄に借りたアパートで暮らしています)静岡の居心地を日にひに噛みしめたり、富山へなんとなく通うようになっていたり、東東京に新しく事務所を構えたり、そこにあることが、今、とても個人的にも、社会的にも大切なんじゃないかと思えています。それを一言で言うと「時間と想い」なんじゃないかと思っています。

現代のデザイン教育に関して、大学などで教えていた経験から感じるのは、その2つを教えてこなかったことだと思います。デザインは「消費」「量産」を志向のベースに置かれ、デザイナーは自分の生活でも使わないようなものを大量に作り、ばらまくように消費させている。最近の「民藝」への興味は、もちろん自然発生的に起こっています。

みんなが田舎に避難するように都会を離れる理由も、この2つだと僕は思います。都会のスピードの中では、一つ一つのことへ「想い」を込めることがとても難しい。そもそもの前提に「お金」があるので、例えば家賃一つとっても高い。そんな場所代を心配するあまり、仕事を詰め込み、こなす。そこには「想い」など、込める余地はないと思うのです。

「松手帳」は最近、辛口度を増していますが、笑 先週の百貨店からのオファーの話は、とても関心があります。もう、立地のいい場所への出店ということについての考えが、変化しているからです。若いフットワークのいい人たちは、量産やお金への考え方、感覚が変わって来ています。だから、いい立地の高い家賃をそのまま払うなんてことは、考えない。それを商業ビル開発関係者は、いまだに「家賃」をもらおうとしている。いいつながりを持っている小さな作り手、発信者は、立地に関係なく成功しています。「立地がいい」というのは、ある意味、「想い」という手間のかかるものを省き、すぐに迷わずたどり着けるという「時間」の有効さをうたっていますが、今は「想いがあるところに、わざわざいく」ことが、楽しく、心地よいのではないでしょうかね。

冒頭、皆川さんの発言について書き始めました。パソコンって、考えてみると「時間短縮マシーン」でもありますね。仕事や打ち合わせなど、あらゆることを整理、短縮する機械。現代人は常にそこに縛られるようにずっと画面をみている。遠隔地でもそれがなされる。そして「仕事をした」という実感もなく、次から次へと「こなして」いく・・・・・。

最近はコロナの影響もあってYouTubeへの関心が一段と高まっていますが、一攫千金を狙う人と、人とのコミュニケーション時間を縮小したい人、なんとなく流行りに遅れないようにしたい人など、様々。動画の時代がやってきていることは間違いありませんが、そこにもやはり「時間と想い」は、重要になっていくと思うのです。