74: 意志と意味

あるお抹茶ブランドのWebを見ていて感心した。「お茶へのこだわり」「お茶の効能」「あなたになって欲しい姿」に重点が置かれていて、「歴史」や「土地の物語」「茶道の話」などがバッサリ切り捨てるように掲載されていない。当然、このブランド、日本の会社ではない。

私たち日本人は日本のものなら、作っている人や産地、技術などに関心が行くことが多いように思う。けれど、経済成長やバブル、震災、コロナなどを経験した私たちは、もはや食器棚は若手陶芸家の器で満杯。リビングにも名のある作家の産地もの家具でキマっている。雑誌「住む」などがそんな田舎モダンスタイルを提案して、みんながYチェアを買った。それも飽和し始めてUSED市場に流れてきた。いわゆるデザイナーの作ったものは卒業。次に土地に根差した作家のものを購入し尽くし、次は「コト」とばかりにワークショップなど体験的なものが増え、そしてこのコロナで「移動」「集まり」「旅行」が制限され、私たちには「時間」と「家にあるもの」と向き合うこととなる。そして、次は「意味」と「意志」なんじゃないかと思う。「なぜ、そんなことをやるのか」「どういう考えでそれをやるのか」その極論は「人のため」「社会のため」「地球のため」だと思う。そのためにはまず「自分の心が健やかではないといけない」ということで、現在、ヨガなんかが流行中。

最初に話を戻すと、ものづくりの話や作家との対話、産地に行くなどの体験をいくらしても、「自分の心」がピュアではないと、自分の体に染み込んでこない。脳には情報として蓄積するかもしれないけれど、それで得た感動(のようなもの)は、他に応用が意外と効かなかったりしないだろうか。

お抹茶の雑学はどうでもいい。それより「あなたにとって何に作用するか」という自分の中の「意味」と、そういう「意志」で作られているか、ということが重要になってくる感じがしています。伝統的なものを継承してそれ自体を見せていくのではなく、それが使い手の「何」になっていくのか、という時代にますますなっていく。「もの」に「意味」と「意志」がないと、もはやトレンドだけでは売れない。