62: ゆっくり

最近のtwitterなどを見ていると、いわゆる”コロナ疲れ”を通り越し、みんなが前向きになっている様子。先日から読み始めた佐久間裕美子さんのnote「あっち行ったりこっち行ったり」にも、これからますます国際的に問題となる「孤独」についての、興味深いことが佐久間さんらしい国際的な視点で書かれていたそれが、前向きだったので、ちょっと嬉しくなりました。つまり「孤独とは、周りの孤独じゃない人がいるからそう思うこと」として考える。そして、今の状況は「みんな孤独」。孤独慣れと言ってはなんですが、今まで孤独だった人たちが、孤独に慣れていない人たちを勇気づけているという話でした。そうなんですね、これから「孤独」がますます社会問題化してくるということも、気になりました。

さて、僕は「家に時間を使う」ということに気づきました。外に出られず、人との交流も制限されていくと、自ずと「自分」や「自分の時間」があぶり出しのように見えてきます。それは最初は実生活がかなり変えられたことにより、不安や解決しなくてはならない新しいことが現れ、みんな、右往左往したわけです。それがひと段落して、規制に対する反発のような気持ちになり、そして、今、「仕方ないから、もっとポジティブに」という人たちが増えてきたように思います。

じっと自宅にいると、「家で暮らす時間」が見えてきました。しかもそれは、ゆったりと流れている。仕事やもちろんずっと子育てをするママさんにも、これまで見えなかった新しいゆったりが見えてきた。僕は洗濯物をたたんで見ようと思いました。これまで会社から帰ってからの選択なので、特に部屋着なんかは引き出しの中に畳もせず放り込んでいました。それをたたんでみると、ちょっと気持ちが安らいだ気がしました。忙しい隙間で、それをやらないといけないとしたら、イライラして適当にやっていたでしょう。そうです、いろんな危機的な状況の中で油断できませんが、「ゆっくり」を私たちは手に入れている。普段、見えなかったものが、見えてくる。ちょっと雑巾をかけてみる。本をジャンル別に分けてみる。収納されていなくてバラバラにおいていたものたちに、収納箱を探してあげる。植木の剪定をしてみる・・・・・・。ゆっくりって、なんだか心が安らぎますね。


ナガオカ家のサンプリングファニチャーコンテナーたち。一番右のは試作の2連バージョン。今、使って試しています。


ちなみに、ナガオカ家のリビングはサンプリングファニチャーコンテナによる植物(豊橋のgarageとd東京店での販売)で、仕切りをしかも、腰の高さで作っています。ソファに座ると、木に囲まれたようになります。高さが一番高いバージョン。(一番右は、一番高さが高い2連バージョンの試作)