越後妻有定食ができるまで~1日目~

新潟県南部に位置する越後妻有には、雪解け水を利用した稲作・畑作や発酵食品など、厳しい冬を越すための独自の食文化があります。3年に1度は、国際芸術祭「大地の芸術祭」も開催され、自然豊かなこの土地を舞台として、点在するアート作品を巡ることができます。今年の7月に行われる、その「大地の芸術祭」の他、四季折々の越後妻有の魅力を食を通して伝えるため、「越後妻有定食」の開発に訪ねました。

d47食堂の相馬、料理人の植本、そして私、齋藤の3人で東京から、越後妻有のまつだい駅まで向かいました。駅に到着し、越後妻有里山協同機構の飛田晶子さんのご案内で、どぶろくをつくる若井明夫さんのもとへ。この地で、農家の息子として生まれ育った若井さんは田舎の暮らしが好きで、農家として無農薬で行う稲作、大豆「さといらず」づくりを行っています。「昔の農家は皆やっていたこと」と、納豆、味噌、甘酒、どぶろくまでを自分でつくります。


(↑さといらず大豆。「砂糖いらず」と言われるほど甘みと香りがある。)

農業だけで生活を立てるのが難しく、副業として測量の仕事を始めました。今いる場所はその測量の事務所。その地下には、納豆の工房があるらしく、案内していただきました。細い階段を下り、腰を少しかがめなければならない天井の低さ。なんとなく嗅いだことのある、もわっとする、懐かしい匂い。その中で若井さんは納豆づくりを行っています。

納豆は昔から自分で作っていたらしく、子供の頃は温度管理が必要なことを知らず納豆を作っていたので、藁の中で納豆になっているもの、なっていない粘りのないものがありました。大人になり、納豆の活動温度を知り安定して納豆を作れるようになった若井さんは、ある時友人に食べてもらったところ「おいしいから売ってくれないか」と言われたのがきっかけで、納豆をたくさん作るようになりました。納豆を発酵させる室は、こたつと木の板、サーモスタットを組み合わせて自作。自分でそだてたお米の藁を利用して納豆を作り、何から何まで自分でやります。「納豆の漬物というところでしょうか…」と若井さんが出してくれたのは、納豆と一緒に塩、麹を1年つけこんだものでした。


(↑1年ものの納豆の塩麹漬け。納豆を作りすぎてしまったときに漬けます)

発酵食品であり、賞味期限もある納豆がさらに1年保存されるなんて…驚きでしたが、頂いてみると、本当においしくて、更に驚きました。大豆はやわらかいけど、まめの皮の質感は残っており、その中にぎゅっとうまみがつまっていて、忘れられません。できたての納豆もいただきました。

大豆の周りをふわふわしたものが覆いかぶさり、かき混ぜると次第に糸状になり、普段見る納豆の姿に。口に含むと、先ほどいた地下と同じ匂い。あの地下の匂いの元は納豆だったんだ、と気付きました。

続いて、味噌の工房のある民家へ。ここも古民家を改修し、移住してきた若者に貸しつつ、一部は味噌の工房として。部屋の奥には、木の桶がいくつも並びます。

樽も、秋田から秋田杉を取り寄せ、近所の樽職人に樽を作ってもらったもので、味噌は自分でつくったお米や大豆を使い作りました。昔は麹も自分でつくっていたそうですが、一晩つきっきりになってしまうので、麹はもやし屋さんにお米をもって行ってつくってもらいます。樽の蓋を外すと、たくさんの塩。味噌が空気に触れてだめにならなように防ぐため、味噌に入っても大丈夫な塩をビニールの上に敷き詰め、重しにします。若井さんは塩を避け、しゃもじですくって味噌をとってくれました。明るめの色。塩がたっぷりはいっているという味噌ですが、ずっと食べられる、口当たりの優しい味。先程いただいた納豆にも通じる、旨味がありました。

他に二棟の古民家も自分で改修し、貸民家としての利用もできる家の一部には甘酒やどぶろくの工房もつくりました。

(貸民家の中にあるどぶろく醸造所。キッチンのほか、温度管理のできる倉庫で、どぶろくをつくります。)

田舎暮らしを楽しんでほしいという思いがこめられた貸民家は、基本的に自炊です。若井さんと前日に納豆を仕込み、次の日の朝食として、仕込んだ納豆をたべたり、山菜を一緒にとりにいったりできます。大地の芸術祭が始まってからは、その運営を行うNPO法人越後妻有里山協同機構の代表にも選ばれました。食にこだわりがあるだけでなく、田舎の暮らしを自身が楽しんでいるからこそ、農業だけでなく、道具や工房まで作れる行動力を持つ若井さん。そんな若井さんの行動が面白くって、地元の農家さんや、よそからきた行動力のある人、いろんな人があつまり、人と人がつながります。

【大地の芸術祭】
http://www.echigo-tsumari.jp/

 

お昼ご飯はまつだい駅のそばにある、まつだい里山食堂で頂きました。

まつだいで取れる山菜、野菜と、棚田バンクのお米。今年初めて味わった山菜の料理に、ようやく春を感じることができました。

その後は、今晩の宿、「かたくりの宿」の管理人である渡邊さんのご案内で、「ゆきやまと農場」へ。

河岸段丘のなだらかな段の上に畑をもつ「ゆきやまと農場」の村山周平さんが、小雨の降るなか案内してくれました。主に行っているのは稲作ですが、今回はアスパラガスの収穫時期ということもあり、その畑へ。ひょろりと伸びるアスパラガスの脇には、すみれが点々と咲いていました。

アスパラガスは多年草で、芽を出し、葉を茂らせ、冬になると根っこだけで土の中でじっとしています。食べられる太さになるには3年以上もかかります。写真のアスパラガスは鉛筆を4本束ねたくらいの太さで、そこまで育つのには10年近くかかります。堆肥は近くにある養豚所から豚糞をもらい、自身の稲作ででてくるもみがらと合わせ、長い時間をかけ、土に近い状態になってから使います。アスパラガス畑一面、4,5センチの厚みでその堆肥が撒かれており(大変贅沢な使い方らしいです)、畑はとにかくふかふか。雪と寒さと、山からの水、周りでつくられるものがおいしいアスパラガスをつくります。

今では実家の農業を継いだ村山さんは、もともとは農家を継ぐつもりではなかったそうですが、就職に向けて勉強していくうちに、今地元に必要とされる農業を継ぐことを決心しました。試行錯誤で農業を行いながら、豪雪で農作業ができない冬には、日本酒の蔵元、苗場酒造で働くようになります。野菜の生命力に励まされながら、良いものをつくれるよう学び、周りの人の声を大切にする、若手のホープ、村山さんを応援したいです。

【ゆきやまと農場】
http://yukiyamato.main.jp/

日が傾き、秋山郷の結東にある「かたくりの宿」へ向かいました。河岸段丘のなだらかな段々の景色ばかりみてきましたが、向かうにつれ、崖に囲まれます。車を走らせる道もまた崖。新潟県、湯沢の苗場山と、長野県の志賀高原をもつ岩菅山の間に向かう険しいところでした。

泊まらせていただいた「かたくりの宿」は、廃校を利用したもの。切り立った崖と、冬の豪雪という厳しい環境のこの土地には昔、民家で開校された結東校がありましたが、環境の厳しさゆえに1892年に義務教育免除指定地にされ、子どもたちの教育の場が失われました。子供に教育をうけさせたい地元の人の努力で、念願の校舎がたてられ、ようやく指定も解除されますが、あたりの人口は減る一方で、校舎が建てられて100年後に閉校しました。村の人にとって思いの詰まったこの校舎は、宿として再び利用されるようになりました。宿の中には、絵画や、結東で撮影された写真などが飾られ、深い自然のなかで、そういった作品を見るのは、ぜいたくなことだなぁと感じます。そして、ここで頂いた食が、後に定食で登場する料理のモデルになります。

地元でとれた山菜、野菜を、マタギ文化も含む秋山郷での料理の仕方で、料理人の艸香(くさか)さんがアレンジした料理。明日訪れる予定のつなんポークを使った、「つなんポークとよもぎのしゃぶしゃぶ」、「お麩のステーキ」、「桑の実ヨーグルトシャーベット岩梨のせ」…。どれを食べても、驚きがあり、なんといってもお米が、ほんとうに美味しい。

ごはんのおかわりも、ためらわずにしてしまいました。石垣田の棚田でとれたというお米は、粒立ちがしっかりしていて、口のなかでつやつやと、光っているんじゃないかと思うくらい、一粒一粒が愛おしいものでした。おなかもいっぱいになり、結東温泉にまで入れて頂き、植本も私も、ペンを握ったまま眠ってしまった1日目でした。

【かたくりの宿】

トップページ