58 そのひとがいる

今という時代を生きていくには、ある程度、時代を読まないとなかなか生活や商売をしていくのが苦しい時代ですよね。時代を読むというのは、もちろん昔からありますが、テクノロジーの発達で劇的に変わってしまう。それが日々起こっている訳ですから、商売人はもちろん、生活者も時代の流れを読まないとならない。当然、時代の流れを意識して、情報から人から距離を置くという田舎暮らしも一つの選択肢になる。「便利」な時代から「安心」の時代へ。そして、「実感」の時代になっていくとき、やっぱり「人」なんだよなぁと、つくづく思います。

先日、金沢での個展のお昼に予約の取りにくいお寿司屋さんに連れて行って頂きました。まず、目立ったのは「人の配置」というか、店内のレイアウトに「人」への考え、意識が現れていました。東東京の名店「シンスケ」もそうです。客席は全て店主のいる位置を向いている。それはまるでスタジアムで、よくよく思うと、名店ってスタジアム形式になっているところが多い。誰が主役で誰が脇役かわかる。多くはカウンターになっている。

たまにカウンター形式なのに、主役がわからない店がある。そういう店はただのカウンターということになる。名店のようにドキドキワクワクしない。

名店は客も店主もスタッフもそれを自覚している。だからアーティストのライブのようなワクワクがある。この金沢の店にもそれがありました。

「おいしい」とは食材や仕込みの”仕事”が半分で、後の「おいしい」とは、人から伝わってくるシズルだと思う。その人の意識は店内のレイアウトや壁にかかっているものなどに伝播して、細かな景色を作っていく。と、いうことは、その店主がほぼ、全てであり、その店主の技、振る舞い、客に投げかけることはの一つ一つが、「おいしい」の大半を作っている。と、いうことは、そのひとがいなくなったら、ただの「おいしい店」になってしまうということなんだろう。五感を満たされて初めて本当においしいと言えるとしたら、やっはり「店主」の存在って本当に大きいと思う。

そのお寿司屋さんのカウンターには、主人を中心に両脇に2人づつがそれぞれ、キビキビと仕事をしていました。そして、どう見ても彼が、というひとが右腕で、後に主人に変わって中心で握っていた人は、きっと息子さんで・・・・・。右腕の彼の主人への気遣い、手際はそれはそれはこちらも気持ちがいい程で、彼の主人への尊敬の気持ちがそうさせ、それを見る客の我々も、それを感じて微笑ましくも応援したくなる。一方的に上司だ、社長だ、とすることはいくらでも出来るけれど、部下の上司への立ち振る舞いで、それが本当に健やかで健全だと客側が感じられることほど、素敵なことはないなと思う。そこには部下を「育てる」という愛と意識があり、育ててもらっているという感謝がある。

人を慕うということは、素晴らしい情景を作り出す。その寿司屋さんに、こうしたことを思い考えさせてくれる深い情景がありました。もう一度行きたい。そして、「本当に美味しい」を五感でまた、味わいたい。そして、自分もそうなっていられたらいいなと、思う。まだまだ努力が必要です。