44 大嶺實清さん

僕が発行している「d design travel」は、ここ数年、ワークショップ号というのをその土地に暮らす人たちと一緒に別冊的に作っています。本誌は年2冊(昨年までは年3冊でした・d newsという新しい雑誌を創刊し、こちらは年4冊出すことにした都合で変更)、県単位で一冊作っているので、たまに「うちの市でも作ってほしい」「僕の村でも作ってみたい」と言われることもあり、このワークショップ号はきまりを設けず、みんなでワイワイ、本誌と同じルールで作ることにしています。
ある市のワークショップ号を作っていく過程でのこと。参加者の一人が自分が推薦した場所が選ばれなかったことに不満を言い出しました。
本誌と同じルールとは、僕が編集長を務め、1.その土地らしいこと。2.その土地の大切なメッセージを発信していること。3.その土地の人がやっていること。4.デザインの創意工夫があること。5.価格が適正であること。の、5つの基準で、「カフェ」「レストラン」「買い物」「観光」「宿泊」「キーマン」の6つの普段使い出来る場所を選び出す。ひとことで言えば「外から来た人に”自分の土地”を案内すべき場所」を知っておくためのガイドであり、それをみんなでワイワイと発表し合い、編集長である僕が先の編集方針とともに、決めて一冊にまとめるというもの。
住んでいるひとには、東京で話題の・・・・みたいな場所が出来た方が嬉しいでしょう。しかし、外から来た旅人は、「その土地らしさ」を求めてくる。特に食事する場所などは、全国ごとにでもあるレストランもいいけれど、出来たら情緒あふれる、その土地で収穫された新鮮で季節感のある食材で、しかも、その土地に長く続いている店、長らくその町の風景になっているような食堂に行きたいものです。そんな場所は住んでいる人にとっては極ふつう過ぎて、人に言われなければ意外とその価値に気がつかないもの。それをよそ者である僕と探し出す。発表し合い、再認識して、自分たちの町らしさを応援し、それがなくならないようにすることで、故郷の情緒、風土、景色を自分たちらしく保ち、その感覚を意識して新しいものを作っていく。そのためにも「その土地らしさ」はとても重要だと思います。

さて、僕は今、沖縄。2か月に1度、住んでいる東京を離れ、10日間くらい借りているアパートで暮らしながら、東京から持ってきた仕事を片付けたり、考え事をしたり読書をしたりしています。今回は僕の会社からいきなり沖縄の、それも陶芸界の巨匠、大嶺實清さんの窯に弟子入りした田部井さんを訪ねました。そこに實清さんも来てくれました。午後の休憩時間。いろんな話が聞けました。一番印象的だったのは、「最近、若い女性が働かせて欲しいと言ってくる。けれど、仕事ができるようになると、自分の作品が作れると思っているようで、結局、そこの折り合いがつかなくて辞めていく」というのです。一見、普通に聞こえましたが、大嶺さんの「大嶺工房」で働くということは、大嶺工房になりきる、ということのようです。「細かなテクニックは後でどうにでもなる。それより、ここ(大嶺工房)が、長く作ってきた形や意識、読谷ややちむん(沖縄の焼き物)の伝統などを丸っと盗むくらいの意識じゃないと、ここにいる意味がない」(概略はこんな感じ)とのこと。
次の世代に「いい沖縄の形を残す」ずっと続いている沖縄の焼き物の文化を残し、進化させる。自分のことだけを考えていては、それはなし得ないという話でした。とても納得しました。
あと、「民藝志向の人は、手仕事だけが素晴らしいという、それは違うね」と。儲かっていることも、ダメたあれでは、と、後ろ指を指す傾向が、手仕事だけを評価する人に多いという。そんなことをしていたら、みんなやらなくなってしまう。「手仕事と型」を両立させ、素晴らしい形を生み、適度に量産してこそ、産業として産地として継続していく。みんながみんな、そうして手仕事に偏った評価をしていてはいけない。そんな話も聞けました。

この話は、最初に書いたワークショップ号のことにそのまま当てはまります。やるべきは「その土地のらしさを再発見し、みんなでそれを再評価して、よその土地の真似をする必要のない、また、自分のふるさとらしい発展の土台となるものを探し出す」という大きなビジョンであり、「僕の選んだ場所はなぜ、載らないのか」という個人の話ではないのです。もちろん、編集長である僕も、最終的な判断は僕の好き嫌いではなく、先に書いたようなビジョンに当てはまっているか、というところを厳しく判断します。もし、意見を言うとしたら、同じ視線でその選んだ場所をもう一度、確認してからにして欲しいのです。まさに同じく「自分の作品が作れると思って」ワークショップに参加されたのでしょう。ですので、このワークショップの元となっている「d design travel」という観光雑誌は、一般的なものと違うというところを、最初にかなり丁寧に説明することにしています。

これは大嶺先生くらいの人の話、ということにしてしまってはいけないことだと思います。誰しも個人の生活の中に、地球や世界、日本や地域の続けるべき大切なことを背負うことはできます。社会のことに個人の全てを捧げる方もいます。逆に個人のことばかり考えて、地域や社会などに関心を寄せられない人も。僕はできることなら、半分半分くらいの意識で、社会や公共、地球や日本のことが半分と、そこに暮らす自分や子供、家族のことを半分くらいの方が、大きく生きられる気持ちよさがあるように思います。

大嶺さんは田部井くんのことを「彼は原石」となんども言っていました。大嶺工房がどうなっているのかを把握し、今、やるべきこと、やれていないこと、やった方がいいと思ったことを意識してくれている、と。「これは彼がひいたんだ」と誇らしげに奥から平皿を持ってきました。もちろん、彼の形ではなく、大嶺さんが創作し、たくさんの大嶺工房で働く人々によって磨き続けている形で、その形に関わり、「いい形ができた」と喜んでいるのでした。それは言葉を変えれば「僕が作った形だけれど、彼に(田部井くん)よって、より良く進化して受け継がれそうだよ」と、いう意味でもあると感じました。
多くの何代にも渡って家業を継ぐ人たちは、一見、その時代ごとに自分の作品を作っているだけのようにも見えますが、実はそれと同時に、ずっと作り続けながら、少しづつ磨きをかけるものがあり、大嶺さんもそういうものを「定番」と、呼んでいました。

「今は作れば売れるんだよ。作っても作って売れる。これは良くない」と、最後に。「考える時間の余裕がない」のは、産地をダメにすると言っていました。「こんな状態は長く続かない。だから、もう少し経ったら、一緒に楽しいことを考えよう」と、にっこり笑って見送ってくれました。

大嶺さんの口から「型」や「定番」の話が出てくるとは、思っていなかったので、大嶺さん自身も言っていましたが、田部井くんが、忙しい大嶺さんの中に、少しだけゆとりをもたらしているんだなぁと、感じました。
大嶺さん、ありがとうございました。田部井くん、頑張ってね。