2010年5月15日 16:51更新
最近、老後の恐怖で立ち止まる。若い頃から自分は焦り性だと思ってきたけれど、さすがに老後が現実として少し見えてくると、その実態のない焦りも、その姿が少しみえてくる。現在45歳。
18歳から22歳は不動産のチラシをつくる印刷会社の企画室にいた。22歳から24歳くらいまでは、原宿にあるデザイン会社にいた。24歳から26歳までは名古屋市名東区の喫茶店の厨房でコックをやっていた。26歳から30歳は東京のデザイン会社にいた。30歳から33歳までは自分でデザイン会社を立ち上げて、33歳からD&DEPARTMENTを立ち上げて、今、45歳。この先が笑える程に見えない。見えないというよりは、「いつもなら未来予想図が大好きな自分がそれを描こうとしない」のだ。
上に書いた人生の「仕事絵」の隙間で、そばで言うつなぎのような仕事をたくさんした。会社に属さない時間。ゲームセンターにあるようなアーケードケームの企画を毎日、1000本ノックのように出して食べつないだり、CMの企画のバイトをしたり、パチンコ屋に毎日かよったり、スナックの女の家にひものようにいたり、現代美術ギャラリーで搬出入の仕事をしたり、酒屋でエレベータのないアパートの階段を一升瓶が6本入ったケースを運んだり。そして、そういう隙間と隙間の間で、漫画を書いたり、作詞をしたりした。
人生とはこんなもので、これから先もこんなもんかなぁと思いながら、親が70歳になってなんだか老いた姿をみているうちに、自分の人生のゲージが、いつのまにか老人へ向ってギギッとメモリが動いている感覚になって、徒然と書いていた手紙のペンを、ふと、止めるように、立ち止まっている。今、そんな感じだ。
自分が考える"人生で一番愚かな生き方"は、人の生き方を意識することだ。人からとやかく言われても、決めるのは自分だし、多くの人生は、人ごみの中で生活をしているから、普通に自分のことなのに、人のせいにしてしまう。どうあっても、自分の人生は自分のものだし、どうあっても、人のせいにはできないはずだけれど。
占いが嫌いだ。占いに行く人はもっと嫌いだ。ただ、残念なことに、その気持ちはわからなくはない。自分の人生なのに、他人にとやかく決めてもらいたいくらいになってしまう気持ち。とてもわかる。
自分で長くは生きられないと思っている人ほど、大切な体に入れ墨を入れたりするらしい。動物もそして、花や樹もそうだと聞く。いずれにしても、人に限らず、「生きたぞ」という証がどうしても欲しいのかもしれない。そして、今の僕には、それが見当たらない。そして、他人のせいにして、それを納得させようとするけれど、やっぱり、自分が納得しないと自分の人生は成就しない。ごまかせないのだ。
最近、一ヶ月にもらう名刺が昔は20枚くらいだったのが、20倍を超えた。自分の記憶のロジックが、なるべくそうして巡り会ったはずの出会いを、ほとんど記憶しなくなった。自分としてはうすっぺらに生きはじめた訳ではないのだけれど、こうして文章にするときに言葉を選ぶように、深い出会いを探しているようにも思える。それ以外はいらない。
学生時代は大人の真似なんてしなくていい。学生だからできる夢を大人に示して欲しい。20代は自分なんて出さなくていい。とにかく尊敬する人を探して、その下で吸収し続けること。そして、恋をたくさんすること。30代は社会の一部になった意識で社会の様子に関心を持つ事。やくにたつ人になること。40代はとにかく働く。表現する。突っ走る。走りながら考え、作り、書き、恋もする。と、思っている。ちなみに、50代は後輩を育て、先輩の世話をして、自分の社会人としての仕事を完成させること。60歳は社会のバランスをとってあげる大人になること。70歳は自分のやりたいことをもう一度、やる。青春にもどること。80歳は子供にもどること。90歳はあかちゃんにもどり、母なる大地にもどる。
今、僕の意識年齢はおそらく60歳。そして、何かいつものように強運さがゆえの、ハプニングのような何かが、自分の背中を乱暴に押してくれるという、他力を待っているような感じで吐き気がする。
最近、若い人に会うと、みんな「田舎に帰ってデザインで地域を救いたい」という。バカじゃないかと思う。みんな同じことを言う。テレビや雑誌の見過ぎだ。
そんな若さで地域に加わっても、一生懸命にやっている先輩の迷惑になるだけである。僕ですら、この歳で思うのだから。
もっと大きなことを考えたい。大きなことを考えながら、細かなところを作り込みたい。それには、どうしても「大きな事」の正解を共有する必要がある。その「大きな事」についての正しいビジョナーを支持する必要がある。
その「大きなこと」を、一瞬、見逃した。そんな最近である。
細かいことを紡いで大きな答えを出そうとすると、膨大な時間がかかる。それにこの歳で気付いてしまったのだろう。20代の時に、勉強しておけばよかったし、30代の時に社会を意識すればよかった。今、無勉強な自分が社会に興味を持ってしまって、それが我ながら手遅れであることに、気付いた。さて、ナガオカをどう舵をとる?