今、そこらじゅうで言われている言葉のひとつに「安くて安心」「安くていいもの」がある。「安い」にはそれなりの理由がある。それはいい理由ばかりではない。
仮に、今これを読んで いる人にお聞きします。あなたがやっている仕事を「なるべく安く」やって欲しいと言われたらどうするでしょう。
例えば、僕がやっているグラフィックデザイン。ポスターをなるべく安くやって欲しいと言われたら、まず、時間をかけられないから、1日でアイディアを考える。カメラマンに頼んでたら外注費がかかるから、自分で撮影する。デザインも自分のパソコンでなるべく簡単にする。印刷もちゃんとした印刷屋には出せないから、色校正という「試し 刷り」の行程をはぶき、紙は選んでいられなくなる。納期も指定できなくなる。
つまり、簡単に言えば「こだわりを捨てる」ことになる。
印刷会社が安く刷ると いうことをしようと思ったら、服屋さんが安く生地を手に入れようと思ったら、中古車屋がなるべく安く商品として中古車を店頭に出そうとしたら、そして、 スーパーが、レストランが・・・・・。
原材料や人件費があがって行く中、国外生産のものに日本のメーカーは日々、生き残りのような競争をしている。品質競争なら歓迎するけれど、問題はこの競争が「価格」の競争だということだ。
入ってはいけない異物が食品に混入したのも、忘れ去られようとしている雪印の問題も、元をただせば「私たちの安さの要求」にメーカーが答えなければ生き残れない状態で起こったことだ。
つまり、極論は、「安さを求めるとリスクもついてくる」ということだ。
日本のものづくりが見直されても、「本物」志向が広がって行っても、結局、その「本質」を見る目や、本物による生活がわからなければ、最終的に「わかっていても安い方を買う」 という現実がある。
「本物」とは、品質だけの問題ではなく、製造するメーカーや販売の意識も含んだそれらすべての環境意識によって生まれ、売られるものだ。
本物は本物に詳しい店で、なるべく本物の店員によって接客、説明を受けたい。もし、故障したり、なにかでつけてしまった傷を直したいとしたら、本物を理解している修理店に、また、メーカーに任せたい。
少なくとも、本物は安いわけがない。安いものを買って文句を言っている人をたまに見かけるけれど、それはあなたが悪い。つまり、「ものを買い選ぶ質が悪い」のだ。
最終的に買物から得られる満足は、「その物から伝わってくる作り手や売り手の思い」だと思う。気持ちがいい買物とは、質の高いものづくりの製品を質の高い接客によって、質の高いアフターケアを受けて実感する。
僕の部屋にはマルニ 60の椅子が2脚ある。ひとつはD&Dでも販売しているオークフレーム。もうひとつは、試作で試し中の本革。飴色になるまで使って試している。今日で約2年目。こんなことをやっているから、いろいろが手間なのだ。こういうことも製品の価格に入っていく。そういうことを一切省くことが「安く」とい
う ことだ。

マルニ60オークフ レームチェアは、正直、安くない。
ただ、その瞬間高いと思うか、10年、20年使える、想いが継続する買物と思えば、それは高くないということになるのではないか。
こんな言い方をしては何だけれど、これからは「やや高くていいもの」を買って欲しい。日本人のほとんどがお金持ちではないわけなので、ほとんどの買物は「その人の素の水準」で 判断されてしまう。「ちょっと高い」「買えない」ぐらいの「質のよさそうな」「手の届かないもの」を買って欲しい。瞬間で判断しないで、30年使うとしたらで、考えて欲しい。2年くらい使って修理に出して、気持ちよく使いつづけられるメーカーかどうかを探り感じながら、買物をして欲しい。
マルニ60の椅子はお薦めできるロングライフデザインです。なぜ、そんなことが言えるのか。それは、少なくとも僕ら「売り場」が「売り飽きて」いないという真実に基づい ています。