2009年10月14日 00:11更新
ギャラリーと聞いていましたが、はじめて見る「VEGA」は、直島の家プロジェクトの要素、つまり、小泉さん、貫場さんの「この土地」の自然の要素、光や風などを空間の中に取り入れたり、壁を解放して混じり合ったりする作品ともなっていました。はじめて行った人は少し戸惑うかもしれません。なので、主宰の貫場さんの解説をぜひ、聞いて感じて欲しいです。
今回の大きな収穫は、貫場さんという「人間」でした。なにか、小泉さんに導かれて、彼と巡り会った感じもしました。こんなにも富山の地を愛して、こんなにも小泉さんの活動を支持し、混じり合い、向き合える人は、東京にはおそらくいないんじゃないかなと思いました。そういう意味で言うと、やっぱり、東京のクリエイティブって表層的な気がしました。
言い方を違えて言うと、都心から離れることで見えてしまうクリエイションの正体。ただ、表面的にデザインがよければ成立してしまいがちな都心の様子と違い、メディアの力も、トレンドも漂っていないこうした土地で、東京並みのクリエイションをしようとすると、かなり変わり者に見えるし、本質がわかっていないと出来ないと思います。そして、本質を持っている人や、そこに興味を持っている人が、なにかしらの必然なのか、そういうところに集まってくる。人が人を呼び、その人がいる空間を目印と向かう。それが貫場さんであり、VEGAであると思いました。
昨今、東京のクリエイターが多く、こうした地方に呼ばれていますが、地方だけでは、デザインをその本質のままで展開するのは無理。だから、適度な都心部で活動している意識の人とやらなければできない。貫場さんは、その相手として小泉さんを選んだんだと思いました。
いろんな土地を巡っていて、その土地にレベル以上の意識でデザインをその土地に根付かせ、文化度共々に高めていくことを草の根的に行動する人はいる。分野は違えども、そういう人たちの意識は一緒だ。その地域のことを愛している。貫場さんもそういう人のひとりだと思った。
行政がこういう人に気づくとき、街は少しづつ、確実に変化していく。なにも知らないミーハーでお金のある行政担当者が、都市型のコンサル会社の言いなりになって、東京の大先生を呼び、訳の分からないお金を使って、何も残らないなんて様子が聞こえて来るなかで、行政には属さない立ち位置で、そういう柔軟に動く事の少ない体質の中で、ちょっと、ちょっと変えて行く。そういう意識の人に少しづつ、大きなものを任せていく。ここの出会いも運命的であり、重要だ。
貫場さんが最初にやった仕事は、写真にある役場のカウンター。そして、その横に小さなギャラリーを作った。正直、これは、よく言われる「デザイン」にある主張のものではなく、馴染みすぎてパッと気づかない。貫場さんはこれを僕に見せた。その後、自分の車に僕を乗せ、その少しづつやっていった軌跡をガイドしてくれた。その合間に、例えば、よくできた例や、富山の土地だからこその風景などをおり混ぜ、最後にリベスキンドのモニュメント的展望台でお別れをした。
今、僕はデザインの幸せについて興味がある。東京にいると東京のデザインが最先端だと過信してしまう。実は、それは間違いだ。東京という土地だからこそ、受け入れられている表現であると考えるべきだし、正確に言うと、そうしたクリエイションのほとんどを東京という土地は実は受け入れるどころか、歓迎もしていない。一部の人はそれにすでに気づいている。だから、そんなデザインを地方に持って行っても「成功」「正しさ」などとは絶対に呼べないし、呼んではいけない。「その土地に合う、デザイン」。そういうものがある。必ずある。だから、そういう意識の地元の人という役割の人が、絶対に必要だ。結局、人の意識で土地は成長していく。もちろん、永遠とつづいてきたその土地ならではの「らしさ」自然の気候なども含めたもの、ことを地元人として体に染み付かせている人ではないと、そのバランスは判断できない。
結局のところ、貫場さんが僕を案内してくれた場所は、川や山、眺めにからんだものだった。例えば、オランダ人の土木者、ヨハネス・デ・レイケによる治水工事の延長にある川。これはデザインである。こういうのが、デザインなんだと思う。
アーキビジョンという建築事務所との絡みも、貫場さんによるもの。誰をどう起用するか。誰と一緒にやるかという選択のセンス。これも地域を正しいデザインが生まれる場所にするために大切な感覚だ。