北海道のほとんどの物件には「クーラー」はない。

2009年9月21日 16:17更新

d design travel誌のために、北海道を車で2.5往復し、約1ヶ月間を暮らした。

1ヶ月ぐらい住んだところで、北海道民になれる訳はないことはわかってはいても、やはり、1ヶ月でも暮らしてよかった。少し、ほんの少しだけ、北海道に住む人の気持ちになれたからだ。例えば、北海道に住む人にとっての「冬」の存在は、東京や雪の降らない土地にする人の感覚と違う。大自然の圧倒的なものがある。
あるギャラリーの人はこういった。「北海道の人は1年の半分はなにもしない。だから、例えば農業なんて、都会の人はやりにくればいい。半年働いて、半年は海外にでも留学する。欲張らなければ、そんなことは普通さ」と。
何もしないというのは、大げさで謙虚な感じだろうけれど、「抵抗しない」感じは、僕には新鮮な感覚だった。東京に住む僕らは、夏になればクーラーを入れ、冬になればヒーターを入れる。秋と春を「すがすがしい」と言っているのは、もしかしたら、エアコンに頼らない「自然」を感じられることを言うのだろう。都会の「快適」とは、「エアーコンディショナー」によるものだ。北海道のほとんどの物件には「クーラー」はない。そのかわり、信じられない規模の床を「床暖房」にしたりする。なにもそこまでしなくても・・・・と思うが、北海道の冬はそういうものらしい。そして、「広さ」。ちょっと隣の街に行く。例えば、札幌から函館に行く。例えば、札幌から旭川にいく。そこに2〜4時間かかる。東京なら、静岡や名古屋、栃木に行く感じだ。
こういってはなんだけれど、北海道にしばらくいて、思ったことですが、「絶対的でどうしようもない」ことが多い。季節の厳しさと広さはその代表格だ。流通が本州よりひと呼吸あるのもそうだ。とにかく、悪く言うと孤立しているし、よく言うと、自分たちのペースがある。もちろん、僕はそんな北海道が好きだ。
大自然の厳しさは、あきらめ、耐えるもの。それを笑い、その時間を工夫する。24時間あけていても、消費の欲求が都会とは違うから、そんな店はススキノくらいにしかない。冬の厳しい数ヶ月は、完全に店を閉めることがほとんどだ。人がこないのではなく、人が雪でこれないのだ。それどころか、雪で危険だからである。除雪をしてもきりなく降る。あきらめて、その時間を耐え、工夫して過ごす。
大通りに今年もビール園ができていた。その利用客の多くは、地元の人だそうだ。限られた清々しい夏を、一番楽しみたいのは、北海道の地元人。厳しい冬に一度、来てみたいとは思う。今回は取材を通じて、北海道の人の「冬」に対する思いにふれられた。11月の創刊まで、もう少し取材を重ねます。

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