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「生きていこうとする人間」– 斉藤アイロン台工業の社長・斉藤素頼さんにお会いしました。

2012年3月23日 公開

“人間には2種類いて、ひとつは、「生かされている人間」。もうひとつは、「生きていこうとする人間」です。
「生かされている人間」は、何でも他人や世の中のせいにして文句を言うけど、「生きていこうとする人間」は、自分で何とかしようと考える。何とかしようと考えるから、”発明”ができるし、時代の変化にも対応して、生き残って行けるんです。”

2012年3月、斉藤アイロン台をつくっている
(株)斉藤アイロン台工業の社長・斉藤素頼さんにお会いしました。
斉藤さんは80歳を過ぎていますが会話も行動もきびきびとされた方で、「斉藤アイロン台」誕生の秘訣として語られたのが、冒頭の言葉です。

斉藤さんは、生まれも育ちも横浜で、ご実家では1924年(大正13年)から業務用のアイロン台と洗濯板を製造していました。

西洋文化の影響を強く受けて発展した、港町・横浜。戦前は町にたくさんのテーラーやクリーニング店が軒を連ねていたそうで、斉藤さんが家の仕事を手伝うこともあったそうです。

表面が湾曲したアイロン台が初めて誕生したのは、斉藤さんが小学生の頃。お遣いで寄ったテーラーの店主に「胸のカーブに、綺麗にアイロン掛けをしたいんだけど」と相談され、お父さんが考え出したものだそう。

航空大学を卒業して戦争中にはパイロットとして空を飛び回り、30歳を過ぎて家業を継いだ時、ふと、昔のことを思い出したことから台がカーブしたアイロン台の開発を本格的に始めました。 「もし俺が戦争で死んでたら、台の曲がったアイロン台なんて造られなかったよ。」
昔のことを回想しながら、斉藤さんはそう笑います。

アイロン台の開発には、大学で学んだ機工学が役立ちました。

台にカーブを付ければアイロンの接する部分が「面」ではなく「点」になるため摩擦が少ないから生地が傷まず、掛ける力も少なくて済むと気づいたことも、土台のプラスチックに凸凹を付けることで表面積を広げ、熱を分散して耐熱性を高めることも、パイロットとして身につけた知識から生まれました。

アイロン台の製造で食べて行こうと必死に考えたからこそ思いつき、その意匠は世界の10ヶ国で特許を取得しました。
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この10年20年、海外のメーカーに押されて国内のアイロン台メーカーは次々と廃業し、(株)斉藤アイロン台工業は、今では日本で唯一の「アイロン台製造一筋」のメーカーになりました。

冒頭の言葉は一見、誰にでも言えるようなことだけど、この社長が発すると、真理なんだと思わせる強さがあります。

今、私は「生きていこうとする人間」か、「生かされている人間」か。週に一度アイロンをかけながら、省みるようになりました。

商品編集部 ライター 松本典子