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yoshida

桂樹舎 吉田桂介

  1. 「桂樹舎」と「和紙文庫」を富山につくった。 斜陽だった地元の和紙産業をデザインで盛り上げ、その素晴らしさや、文化・歴史を紹介する資料館を、創意いっぱいで築いた。
  2. 民藝運動の伝道者。柳宗悦を知る最後の人。 民藝を学び、いい物を選び取り、溢れるようなアイデアで新しい物を生み出し、富山を文化が根付く土地にした。
  3. 八尾の風情ある町並みを守り、若手を刺激するプロデューサー。 10月の「坂のまちアートinやつお」の演出や、「林盛堂本店」「山元食道」などの暖簾などをデザインし、八尾の次代を担う、若い店主らと交流する。

富山の根っこを守り、デザインの花を咲かせた人 越中八尾駅の近くの「林盛堂本店」に何度も通った。名菓「おわら玉天」を土産に買うためだが、 激烈なキャラクターの店主と話すのが楽しみだった。菓子について語る時はクールなのに、民藝の話になると、ホット、いや沸騰して、爆音で話しまくる。物を見ること、つくること、使うこと―なぜだ、どうしてだと、純粋に思い詰め、「そうか、わかった!」と閃いたら、彼は桂樹舎に行くという。吉田桂介さんにすべてを聞いてもらうためだ。九八歳の吉田さんは、「おまえ、よう考えたな。そうかもしれんぞ!」と、一緒に感心して、笑う。一九一五年生まれの吉田さんは、尋常小学校を卒業すると、東京の三越で働き、店頭や倉庫を駆け巡りながら、世界各地の先端デザインに刺激を受けた。身体を壊して八尾に戻り、故郷の伝統産業である紙漉きの会社を起業―後の「桂樹舎」だ。当時、すでに斜陽産業だった八尾の和紙を未来に残し、広めたいと、柳宗悦に自社の紙を見せ、評価をもらった―「いい物だから、頑張りなさい」。芹沢銈介の作品のために、水に浸けても破れない和紙を開発した。その縁から、型染めの技術、デザイン、すべて芹沢直伝で習得し、その確かな目と腕で、和紙製品を次々と世に送り出した。林盛堂の看板や紙袋、暖簾、包装紙など、すべて吉田プロデュース。この店だけでなく、県全体に、吉田さんの美意識が根付いている。この清々しく、美しい町づくりに大貢献した〝誰もが認める名誉県民〟。(空閑理)