2010年5月20日 23:47更新
僕たちはある速度感の中で生きているので、誰かの人生をおよそ2時間のハイライトとしてみれることが前提としてあるような錯覚を持っている気がしてならない。現に、僕自身がテレビに対して感じている期待は、常にそういう感覚だ。
今日、ある場所で、ドキュメンタリー映像を見た。普通なら、人が5分の滞在時間だとすると、その範囲で伝えようとする映像に編集すると思う。ただ、そこでは、無意識なのかもしれないが、とても贅沢に、ただ風が吹く田園風景をとても長く流し、布を織る映像を失敗する様も含めて流し、テレビであったら飽きられ、チャンネルを変えられてしまう映像だったかもしれないけれど、その長い「間」の中に、自身がそれを見て何を思うかを考える時間が与えられた気がする。短い時間で、さも良く見せる、ということはある意味簡単なのかもしれない。僕は、あるがままを映し出し、それを見てもらう「場」をつくりだすことの方がが難しく、大切なことのように思った。